幸せってなんだろう?
人によって答えが違うものなのかもしれません。
自分にとっての答えはあります。
「何かやりたいことが有ること」です。
そして今やりたいことはあります。
で、その上で「幸せってなんだろう?」と考えています。
本当に幸せだったら浮かんで来ない疑問のような気もします。
とすれば今の私は幸せではないのかもしれません。
ざっくりした質問で恐縮ですが「幸せ」ってなんですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「仕合わせ」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「幸せ」は、「仕合わせ」とも申すように、色々な善き縁が合わさることによるところとなります。
でも、では、いったい、幸せの実体とは何か? 本質とは何か?と探しても、「これ」というものは見当たらないものとなります。
それは、般若心経でも説かれているように「空」であるためであります。
もちろん、何も無い、幸せは無いということではありません。
確かに有りますが、しかし、そのありようは縁に依りて起こっているという「縁起」として、ということになります。
この一切が空であり、縁起によりて成り立っている世界においては、何らとして実体として成り立っているものはあり得ていないものの、私たちは、何か実体があるものだとして、囚われを起こすことで、いつまでも迷い苦しんでしまっているのであります。
とにかく、世俗的な幸せにおいては、真なる幸せには至れないとして、仏教では、世俗的な幸せを超えた勝義的な幸せとしての悟り・涅槃へ至ることで、迷い苦しみから脱することを目指すものとして調えて参りたいものとなるのであります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口 英俊様。 御回答ありがとうございます。
興味深く拝読いたしました。
「空」と「縁起」どちらも難解な概念です。WIKIに掲載されている程度のことしか触れていないので誤解しているのかもしれませんがいただいた御回答を自分なりに解釈してみます。
現在の自分。これが幸せであるかどうか。
幸せの基準を物質的に満たされているかどうか(俗な価値観ですいません)で測る場合
出発点が億万長者だった。⇒ 今の自分は”不幸”
出発点が無一文だった。⇒ 今の自分は”幸福”
同じ「今の境遇」でもそれは”縁”によって幸福にも不幸にもなり得る。
なのでそんなことに囚われることなく涅槃を目指すべき。
こういうことでしょうか。
一つ私が感心しましたのは私が今「幸せを感じている」のであれば「幸せ」と「やりたいことが有ること」の関係性が”因果”となるべきところを幸せであることへの疑念をご覧になって「幸せ」と「やりたいことが有ること」の関係性を”縁起”という言葉で表現されたと愚考いたします。
私には思いも寄らぬ概念で「なるほど」と深く感じ入った次第です。
こだわるポイントはソコじゃないよ、と苦笑されるような気もしますが。
どうもありがとうございました。