本音
派遣契約=奴隷契約
そう思います。
今年、請負で勤務していた女性が自殺した事件がありました。ニュースで知った事件ですが。
客先の上司に、自宅で寝るなと、会社で寝泊まりをさせ、もちろんお風呂も布団もなく、お風呂はトイレの水で体を拭き、床にタオルを敷いて寝ていたそうです。寝れたらまだよく、夜中も寝ないように客先の上司のラインに「起きています」そう5分おきに送るよう、強制されていたそうです。
そして自殺。
私たちが働いている環境、まさにです。私も似たような経験があります。
私の仕事、モノづくりの現場の声です。
知り合いに自殺を決行した人がいます。死には至りませんでしたが衝撃でした。
次は良い職場だといいね、だとか言われても、何も知らないから、そういう無責任な事が言えるんだ!そう思ってしまいます。
次の仕事=新たな奴隷契約 です。
自殺をする方が、一瞬の苦しみであとは解放されます。
今の私には魅力的です。
仏教は救い、と言われても、実際に自殺者がいます。苦しんで苦しんで、会社に殺された。
余裕があるから救いは仏教。そう言えるんじゃないか。そう思ってしまいます。
ごめんなさい。
今の私の本音なんです。
本当にごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【追記あり】本音歓迎
おっしゃる通りですよ。何も間違っていません。
仏教の救いは社会など外的環境をよくすることがメインのものではありませんから、なんにでも当てはめようとすることは間違いです。
様々な課題に仏教的な視点を応用することはできるでしょうが、それはあくまでも応用であり、仏教本来の目的ではありません。
生活に余裕が必要な方は余裕ができるために必要な条件をととのえなければなりません。生きるためには衣食住の確保が最優先です。
そして大事な事は仏教は「私」を外して考えてはいけないということです。会社に殺されるような形で自殺に至ってしまう方もいるかもしれません、そのような状況を生む社会情勢もあるかもしれません。
その中で「私」はどう生きたいのか、何に苦しんでいるのか。そこが大事です。「私」を外すとおかしくなってしまいます。
ドキンちゃんさんの救いに仏教が必要ないのであればそれでもよいのです。苦しい状況の中では冷静に物事を考えられなくなってしまったり、何かにあたったりしたくなるものですし、本当に苦しい時は何も受け入れられないものです。それでもいいのです。
自分が自分を偽らなければ、自分が自分の願いに目を背けなければ、それでいい。
どんな本音でもぶつけてくださいね、それが大事です。わかったふり、納得したふり、救われたふりなどしなくていいのです。
【追記】
「私を優先しない」と「私を外して考えない」は矛盾しませんよ。「私を優先して苦しんでいる私」や「周りのことばかり優先して苦しんでいる私」が問題になるということですからね。
とにかく、まずは生活が大事です。そして労働環境は大切です。悪質なところで身も心もけずらなくてもいいのです。ご自愛ください。
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃるような本音、消されてしまうような声なき声を上げることが本当に必要かと思います。
私達は全ての人は奴隷ではありません。しかし現実の世界や社会ではそのようなことが平気で行われているのです。
そのような厳しい状況や環境にいる方々も含めて多くの方々が声を上げることが本当に必要です。
政治的な発言を控える傾向がありますが誰もが自由に安心して生活することができる社会や世界を作っていくことが私達誰しもの役割があります。
あなたの声や多くの方々の声がもっと広がっていくようにと切に願いますし、私もできることを考えて行動していきたいと思います。
人が平等に豊かに生きていくことを目指していくのも仏教の教えですから。
どうかこれからもあなたの本音をおっしゃってくださいね。
質問者からのお礼
以前に「私」を優先しないというお坊さんとは真逆に、吉武さんは「私を外して考えない」とおっしゃいます。よく分かりません。
でも正直なところ、そんなのどうでも良くて、私は自殺するまで仕事をしなかった。どうせ遠隔で仕事の速度も監視されてるなら、とことんやって過労死か自殺した方が、あっぱれでした。そう思うと悔やまれます。