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もし、あのとき、別の選択をしていたら

回答数回答 3
有り難し有り難し 106

お坊さま、お正月をお忙しく過ごされていることと思います。
このメールをお読みいただき有難うございます。

寂しい、です。
自分が選択してきた道が、うまくゆきませんでした。
もし、あのとき、別の選択をしていたら・・・と百万回くらい悔みました。
だいぶ落ち着いてきたところだったのですが、
このお正月の休みで、またグルグルと考えが回ってしまいそうです。

過去は変えられないと、何人もの方々から言われました。
ごもっともです。
ですが、だからこそ、つらいのです。
受け止めきれていないのでしょうね。

失ったものより、もっているものに目を向けましょう。
これも、頭では分かっています。
でも、すぱっとは切り替えられないものですね。

時が薬になる、とも聞きます。
そうかもしれません。
2年前にくらべれば、少しよくなりました。

気持ちが沈まないように、することを見つけて工夫もしているのですが、気が付けば、過去に自分がした選択を悔いる気持ちに占領されます。

自分が選択した道が、生き甲斐だったのです。
でも、うまくゆかずに、生き甲斐を失いました。
心に穴が開き、ぽつんとしております。
私に残ったものは、なんだったのでしょう。

読んでくださってありがとうございます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

後悔の人生の上に開かれる新たな道を進みましょう。

こんばんは。亀山純史と申します。

自分が選択した道が悪い結果を導き出してしまうことは、誰にでもあります。たとえば、毎年多くの人が事件、事故に巻き込まれて命を落としています。ご遺族の方々は「なぜ、あの時、あの選択をしたのか。」と悔やんでも悔やみきれない思いで一杯なのです。そのような思いの中から、まったく予期していなかった人生を歩む人もいるのです。飲酒運転の犠牲になって我が子を亡くした人が、飲酒運転撲滅のための講演会を行ったりしています。そういった人たちは、我が子をこのような形で亡くさなかったら、このような活動を人生のライフワークにすることはなかったでしょう。
「後悔はするな。」とは言いませんし、言えません。しかし、後悔からまた新たな道が開かれてくることも事実でしょう。後悔の人生の上に開かれる新たな道に感謝して進むところに、後悔を乗り越えていく人生が生まれると思っています。

以上が私からの回答になります。私自身、2年前に息子を突然死で亡くしておりますが、「あのとき、あーしておけば...」という後悔の気持ちは今も持ち続けています。しかし一方、このような経験が、今の私のこのハスノハでの活動の力になっているのです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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満たされなさはどこにあるか?

ご相談拝読しました。

頭では分かっているけど、心が、感情が追いつかないというご様子でしょうか。誠にお辛い事と思います。

ご自身でもおっしゃる通りよくお分かりなのだと思います。

しかし、今辛いのは本当に過去の選択でしょうか。過去の「選択による今」が「今」お辛いのではないでしょうか。

過去の選択のたらればは現実には存在しません。でもそれでも考えてしまうものだとは思います。

さて、追いつかない感情をこれ以上どうにかできるものでしょうか。少し視点を変えましょう。

感情はそのままでもいいのではないでしょうか?その辛さもあなたの今なのですから。

しかし、その感情によってグルグルと考えるのみで行動が何も手につかないなどの支障をきたしてるのなら、そちらの方に目を向けていきましょう。

二年間で少しづつ感情が追いつてきたように、これからも少しづつまた変化していくでしょう。
誰かを好きになろうと思ってもなれないように、嫌いになろうと思ってもなれないように、心・感情は縁にしたがって湧き上がってくるものであり思うままになりません。

その時の気持ちは何も否定すべきものではないご縁からのいただきものです。

でも、それに支配されて今という時も空しく過ごしてしまうのであればよろしくありません。

「あ‘‘~!あの時ああしていればぁああああああ!悔しいーーーーーーー!」

と思いながらでも、その気持ちを抱きしめつつ今の選択をしていきましょう。

そう思う事が問題であると執着するところに問題が生じるのであって、ネガティブな感情も別に否定・排除すべき問題ではないのです。

孤独も空過も今の問題です。

何かが残ったのでもなく、何かを失ったのでもなく、ただ今満たされない何かを抱えるあなたを明らかにするのが仏教です。

生きがいを見出していたものの喪失は本当に辛く苦しいですが、それでも今生きているのです。
あなたは本当は今どのように生きたいのでしょうか?

【追記】
近況報告とあたたかなメッセージをあろがとうございます。確かに拝読しました。おきもちはhasunohaの規約に従い受け取らせていただきます。誠にありがとうございます。今という時はご質問以来、あなたが投げやりにならず真摯に生きてきた賜物です。私の回答はあらためて読みますと拙く恥ずかしいことです。しかしこのご縁に感謝いたします。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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過去のその時点で人生が終わったわけじゃないですよね

私も同じようなことで苦しんでいます。ずっと後悔が続いています。あの時のあの選択が大間違いだった、ああ!なんて愚かだったのだろうと日々思い返しては悔いています。だから、私と同じことで苦しんでおられるのだと思いました。

とはいえ、過去のその時点で人生が終わったわけではありません。やり直せばいいんです。やり直すことはなかなか難しいし、場合によっては周囲の目も冷たくなりますし……。でも、このまま後悔ばかりして人生を終わりたいですか。

高校に入ってすぐ、古文の時間に無常観と無情の違いについて習いませんでしたか。私はこれらの違いを習いました。無常観はものごとが常に変化しつづけるという仏教の見方です。無常だからこそ驕り高ぶって有頂天になっている者は足物を救われて酷い目に遭いますが、無常だからこそ今は絶望の淵に沈んでいても明るい未来に向かっていくこともできるわけです。

無情は人に情けがないことでしょうし世の中が悲しいことでもあるのでしょう。辛い立場にある時、他者は優しくしてくれません。他者の冷たさに触れるといっそう後悔の念が強くなります。これは人間社会の実相なので仕方ないです。ただ世の中にはごく少数ですが、あなたを支えてくれる人もいます。これも人間の本当の姿です。

後悔はなかなかなくならないかもしれませんが、過去のその時点で人生を終わりにしてよいのですか。人生は一度きりですよ。この世は常に変化しますからあなたの考え方や努力で変えていけばいいんです。そんなあなたに周囲は優しくないかもしれませんが、どこかに支えになってくれる方はいるものですよ。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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質問者からのお礼

亀山純史さま
今朝がた、昨年の春に他界した私の父に手を掌わせました。そして、 「どうか、亀山純史さまの息子様にお礼を言ってください。あなた様のお父様に娘が救われました、と伝えてください」と頼みました。 後悔したからこその、新しい人生を送りたいと思います。 亀山さまからいただいたお心を、大切にしてまいります。

吉武文法さま
私の悩みの本質を気づかせてくださって有難うございます。 私は過去に佇んでいるというより、そんな今の自分が苦しいのですね。 そして苦しい気持ちも排除しなくてよいのですね。 そう思うと、楽になります。 後悔したって、よいのですね。 今、新たな選択をするのが怖くなっていたのですが、また歩きだしたいと思います。 また後悔するのではないかと怖いですが、後悔の念も、もっていてよいのですね。

藤岡俊彦 さま
わたしは今まで無常観を上手に持ち合わせていなかったようです。 だから、時が経つのにも気づかずにいました。そして、ある日突然、流れてしまった莫大な時間に気づき、深いパニックに陥りました。 こんななずじゃ、なかった、と。 過去の栄光にも執着して。 他者は冷たい、と言い切ってくださって、有難うございます。 立ち直ろうとしては、医療機関や公的な場所に相談に行き、必ず後悔をあおられる言葉を受けて、より深く沈む。その繰り返しでした。 そういうものなのですね。 そういうものだと知ることができたおかげで、不思議と、行き場のない気持ちの置き場所を見い出せそうな気がしております。

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