人生がからっぽです
今まで何もしてこなかったし、何よりもこれが好きというものがありませんでした。
唯一好きだと思っていたことも違うと思い知らされました。
愛するものも、誇れるものもない。
私の人生はからっぽです。
例えば、私は趣味で書き物をします。当然私より断然書ける人はたくさんあります。あの人のロジカルな文章構成が羨ましい、あの人の醸し出す雰囲気が妬ましい。
けれどそれは、私が惰性を貪っている間にその人たちが何度も書いたりたくさんの本を読んだりしてきたからです。
私はそれをしてこなかった。だからできない。
仕方がないです。
からっぽの体に妬みや怒りだけが詰まっていて、生きているのが恥ずかしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【正精進】のチャンス!!
”愛するものも、誇れるものもない”
”私の人生はからっぽです”
え!? じゃあ、今いちばん楽しいやんか。
今、からっぽなら出さにゃならんモンは何もないし。
それこそ吸収する一方やん。
みんな新鮮な次のものを入れたいが為に、今までに溜まってしまった知識や経験を抜こう抜こうと、離れよう離れようと、あの手この手でがんばっているというのに。
何を贅沢な(笑)
「なにもわかりません」から始められる贅沢さが理解できるといいね。
ゼロからが楽しい
おはようございます。「人生からっぽです」という書き出しに、「いいなあ!」と思いました。最近、心理学の方とお会いした時に、「あまりにたくさん情報がありすぎて皆さん、方向を見失うんです」と言われました。人を基準にしないで、自分を基準にしたら、スタート地点からやれますよね。
お釈迦様がお城を出て悟りに至るまで、たくさんの仙人や偉い修行をしている人に出会い、その修行をして最後はガリガリにやせてしまうまでになりました。
その時お釈迦様は、「これではダメだ。」と独自の瞑想に入られて悟りを開かれました。一緒に苦行をしていた仲間はお釈迦様が苦行を捨てた時に「あいつは堕落した」と言って去っていきました。
苦行を捨てたお釈迦様も発想を転換して悟りに至ったのですから、人と比べて、ではなくてあなたの発想からスタートされたらよいかと思います。
力をぬいた時に、ユニークな発想が出てくることもたくさんありますよ。
からっぽからを楽しむ、みたいなスタンスだとリラックスして考えられます。
深呼吸して、ゆったりスタートして下さい。
質問者からのお礼
人生がからっぽだからこそ出来ることを探したいと思います。
ありがとうございました。