なり替わろうとする人たちが怖いです
はじめまして。人間関係について相談させて頂きます。
子供の頃から、なり替わろうとする人たちにターゲットにされてしまうことが多くて怖いのです。
実際どんな人かと言うと、決まってこのパターンで。
・私が居る輪にその人が近づいて来る
・最初からまるで親友だったかのようにふるまってくる
・私のマネ(好きなこと・人・言動など)をする
・私以外の友人だけを誘う、私を見下す言動が増える
・しばらくすると友人や周囲の人たちの私への態度がおかしくなってくる
・いつの間にか私は輪の外にいて、その人が私がいた場所に収まっている
この人は何かおかしい、と最初の時点で感じてしまうのですが、そんな風に考えるのは自分がおかしいのだ。そう思うようにしていて。
しかし次第にその人の態度が私を見下したり下げたりする言動に変わったり、後に影であることないことを言われていたと知った時はショックでした。
また彼女らには共通点がありました。
それは元からいた彼女たち自身の友人をおざなりにしたり適当にあしらったりすること。
それを指摘されても、自分はちゃんと友人だと思っている、大切にしている、と言うこと。
そして友人たちから愛想をつかされても、自分は友達だと思っていたのに、と泣くところ。
また仲良くなりたいからではなく、その人たちと仲良しに見られる自分が欲しい人たちなのだな、と透けて見えるようになってしまいました。彼女らが近づいてきたときの私は、思えば何か優れていたり、その場所で上の立場にいる人たちが仲良くしてくれていることが多かったのです。
もちろん私にも変わらず仲良くしてくれている友人知人はたくさんいますし、その人たちに感謝して大切にして生きていこうと思っております。
しかし知りたいのは、私はあの時どうするべきだったのか。透けて見えてしまうものを我慢して受け入れるべきだったのか。それとも大人しく離れて正解だったのか。今後そういう人たちにどう対応していけば良いのか。繰り返すのは私が何かしてしまっているのではないか。
そして何より、彼女らが何を考えてそういうことをする人間なのかふしぎでしょうがないのです。人間は知らないものに恐怖を覚えると言います。もし彼女らに共通した心の傷やトラウマがあるようでしたら、まだ恨まずに優しくできると思うのです。
どうかご意見・ご叱咤の程よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私のお古で良ければどうぞ♡
こんにちは。
うちは小さい頃からニワトリに囲まれていましてね。
修行道場時代に坐禅会で余ったご飯を野鳥にくれてたら「カラスにエサをやっている和尚がいる」と通報された経験を持つ環境と鳥にやさしいエサクレヤ丹下ともうします。好きなものはケンタです。
修行道場にケンタの神様という方が時々いらっしゃいました。
こっそり差し入れを持ってきて下さるOB和尚さんのことです。
ランクはミスド<マック<ケンタです。
惜しげない人は「与えられる」のです。
与えられると人は生きる、成長するのです。私にも与えられた喜びが残っています。
あなたは立派な羽根をお持ちのよう。くれてしまいなさい。コケー
鳥の世界にも他の鳥の羽を拾って身に着けてキューアイ行為をするオン鳥がいます。
人間の世界はオスメス無しにもっとです。彼女たちもあなたの羽をつけてあなたの様になりたいのかしらね、オホホホ。(鳥の羽センスパタパタ)
あなたのその図式が正しいとすれば、いっそのことあなたの古着や抜けた羽は全部与えてしまいましょう。
あなたの実力や本体は、そのポジションを自ら生みだせるその力、センス。それだけは誰も奪えないものだからです。
和尚の世界では自分をさらけ出して「法話」という人生が軽くなるお話を提供します。
時々他の和尚さんから「そのネタ、使わせてください」と言われることがあります。
仏教は知的所有権はとやかく言いません。人を悟り・幸せへ導くためにはケチな事は言いません。
「自分のものなど何もない」からです。すべては授かりもの。活用して頂けれるだけでもありがたいことです。今はシェアという言葉が広まっていますが、本当のシェアはこちらが何も残らなくなること。
法事の供養だってシェアです。「共に養い合えるのが人の最上」ですから。
「あれは私が考えたことだ」「私が見つけてきたものだ」という心を捨ててしまう事。鶏のエサくれと同じです。勿体無いように思うかもしれません。ですがその方が新しいステキな羽が生えてくるのです。
古い羽根を握りしめていると執着になって苦しみの種にすらなるのです。私もここでのネタはいつも出し尽くしています。だからこそポンポン出てくるのです。
あるある。。。
おはようございます。
いろいろ大変な思いをされたけど、マイナスで終わらずいろいろ分析されている。とても大切なことです。
結論からいいます。
>大人しく離れて正解だったのか。
・・・はい、正解です。こちらの意思関係なく向こうから訪れる災難や事故の類と思い最小限のダメージで乗り越えるのが健康的です。
>今後そういう人たちにどう対応していけば良いのか。
>私にも変わらず仲良くしてくれている友人知人はたくさんいますし、その人たちに感謝して大切にして生きていこうと思っております。
・・・この路線で問題ないです。
>繰り返すのは私が何かしてしまっているのではないか。
・・・そんなことないです。しいて言うと、沈丁花さんの優しさが仇になった感じかな。
>彼女らに共通した心の傷やトラウマがあるようでしたら、まだ恨まずに優しくできると思うのです。
・・・残念ながら、優しくされるというより弱点を知られたと捉える方が多いです。
>彼女らが何を考えてそういうことをする人間なのかふしぎでしょうがないのです。人間は知らないものに恐怖を覚えると言います。
・・・基本的に相手も同じ気持ちだと思います。あなたの味方ですよ。といわれてもいつ敵に寝返るか、見捨てられないか不安な気持ちの方が強くなる。
信用できる人なんていない。ご自身でそのきっかけをつくっていると言われても変えられない。
私は悪くない! 世の中が悪い。 そんなイメージでしょうか。
自分があることないこと言ってる反面、他の人に何か言われてないか異常に気になる。
10年20年スパンで関われるならサポートも可能ですが、そこは援助職の領域です。
中途半端な態度は互いを傷つけ合い、健康を病むことあっても、良い結果の保証は持てません。
キツイ言い方になったらごめんなさい。だけど、、、
職場や役割上の地位、利権、友人関係のマウンティング、
いろいろなものの中で優位に立つことが自分を守ることと思いそんな態度をとる人はいます。
自分が人に何言われてるか、気にするのがめんどくさい。興味ない。と言われた方が敵意をもたれないかもしれません。
参考になる部分があればご活用ください。
質問者からのお礼
はじめまして。
まずはお礼が大変遅くなりまして申し訳ございません。
この1月、常に頂いたお言葉を胸に置き、考えて過ごしておりました。
丹下覚元様
ご解答ありがとうございました。
わたしにそんな素敵なものがあるのだとしたら、奪えないものを持っているのだとしたら、とても嬉しく思います。
古着や抜けた羽は与えてしまえば良いということ。そもそも自分のものなど何もなく、すべては授かりものだということ。
それらを胸に置いて約1月、少し肩の力が抜けてきたように思えました。
まだ離れていってしまった人たちを見かけると少し胸が痛みますが、
頂いたお言葉を胸に、少しずつ前に進んで行きたいと思います。
改めまして、ご解答をありがとうございました。
泰庵様
ご解答ありがとうございました。
1つ1つの疑問に答えて頂き本当にありがとうございます。
優しさが仇になってしまった、というのは少し心当たりがあったので、どきっとしました。
彼女らがわたしを気にするのは、そういうことだったのかもしれないと考えると、少し納得できました。
人の言動に過敏な人が多かったような気がします。
ずっと関わりあえるわけでも、サポートの専門技術を学んだわけでもないわたしは、助けられるかもしれない、分かりあえるかもしれない、なんて甘い思いはあきらめるべきなのかもしれませんね…。
今後また同じような人たちに出会ってしまった時は、あなたのことを気にしてないよ、という態度を取ってみようと思います。
改めまして、ご解答をありがとうございました。