阿修羅像の逸話について
仏教には様々な逸話がありますが、阿修羅像の逸話についてずっと気になっていました。
逸話を端的に言うと「阿修羅の娘を帝釈天が無理やり連れ去り、激怒した正義の神・阿修羅が帝釈天に戦いを挑むも戦闘神の帝釈天には到底敵わない、そんな中で娘は帝釈天を愛し妻になる、戦う必要がなくなったにも関わらず怒りに我を忘れ戦い続ける阿修羅」
初めて見た時は結果オーライか⁈
なんだそりゃ‼︎
と思いましたがこの逸話の言わんとすることはよく見かける解説で
「阿修羅は怒りで自分を忘れ、戦いに目を奪われて、すでに娘が帝釈天の正式な奥さんだったのにも関わらず、相手を赦す心を失っていました。たとえ、正義であってもそれに固執すれば、善の心を忘れ、妄執の悪・復讐の鬼になってしまいます。過去を水に流し、人を赦すことは大切なのです。」
とあり理解出来るとこもありますが、この逸話を初めて見た時はいくら例え話しだとしてもこの話しを納得することは犯罪を容認するようで、なんとも気分が悪くこの逸話を簡単にそうかと理解するのは無神経なようでずっと引っかかってました。
程度は違いますが私の毎日はずっとこの引っかかっりです、私の煩悩が怒りなのか杓子定規な正義への固執なのか、両方ですかね?
ここから質問なんですが、この逸話の中で娘が帝釈天を愛し娘に関してはある意味で結果オーライですが、実は最悪娘は帝釈天に連れ去られた後に殺されたとしてもこの逸話の言わんとすることは同じ(憎しみの先に救いはない)ような気がして、結果オーライはまだましな話しだったのかなと最近思うようになったんですがどうなんでしょうか。
上記とは違う解説等ありますか。
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仏教ではなく古代インドの聖典が出典
このお話の元は、仏教発生以前の古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」にあります。
「リグ・ヴェーダ」について、私は全く知識がありませんが、「古事記」や「日本書紀」といった日本の神話が古代日本における有史以前の歴史を示しているように、「リグ・ヴェーダ」も古代インドの歴史が書かれている部分もあるようです。ネットを当たると、おたずねのくだりは、アーリア人がインドに入り、抵抗する原住民との戦いの様子ともいわれます。ここは仏教の教えうんぬんではなく、古代インドにおけるひとつのお話しとして受け入れれば良いと思います。
「古事記」や「日本書紀」も読んでみると、日本の神様たちはみな個性豊かで実に人間くさいんですよ。まだでしたら是非お読みください。
質問者からのお礼
光禪 様
回答ありがとうございます。
阿修羅や帝釈天が古代インドの神々なのは聞きかじってましたが、
>おたずねのくだりは、アーリア人がインドに入り、抵抗する原住民との戦いの様子ともいわれます。
そういう背景があったんですね、
怒りの戒めとしての阿修羅像だと思うんですが、日本仏教に於いて阿修羅像が有名と言うことなんですね。
>「古事記」や「日本書紀」
子供の頃は何とも思いませんでしたが、少しググってみると古事記は確かに面白そうですね、三輪神社には子供の頃に毎年行ってましたが、各地の神社も大人になった今なら訪ねてみると面白いかもしれませんね。