お宮参りでのこと
子供のお宮参りに行った時のことなんですが、写真撮影で申し訳ないと思ってしまう事がありました。
祈祷などの受付をする所に3人ほど受付のオバサンがいて、既に最終受付も終わる3時過ぎだったのでお客もいなくとても暇そうにおしゃべりされていました。
なので誰か一人くらい良いだろうと思って家族で写真を撮りたいから誰かお願いできませんか?と声をかけました。
すると、スムーズに「はい」とはいかず、三人でワチャワチャと話し誰も「私が」とは言ってくれず、あきらかに嫌そうな顔をされました。
1分もかからなかった話しですが、私には長いように思いました。
結局、最初に声をかけたオバサンが「そうだ、神主さんがいいわ」と、ご祈祷を終えてきたばかりの神主さんを呼びに行きました。
神主さんは来るなりすぐに「シャッターはどこですか?」と積極的にスマホを受けとってくださいました。
きちんとお礼はしたのですが、自分達の事ばかり考えてしまっていたせいか神主さんと一緒に撮って頂くことを忘れてしまいました。
わざわざ神主さんが外の広~い場所まで歩いて来てくださり外はお客様が結構いたのでなんだ?なんだ?となりました。
そんな矢先に、神主さんにカメラマンだけやらせてただ帰りさせてしまったようで申し訳ない気持ちになりました。
私は受付の方にカメラマンを頼んだだけでそれは理解されていたと思います。
ですが、神主さんだったなら一緒に撮っていただくのが礼儀というか、わざわざでてきていただいたのに…と後から悔やみました。
そもそもなんで受付の人達は人任せというか、下っぱの自分達がやらずに一番偉い神主さんに押しつけたのか…
もし受付を離れられない理由があるならはっきり断ってくれた方が良かったと思いました。
いつもいつも気持ちよく足を運んでいた場所だったのに受付の人達の対応が頭から離れず、でも神主さんには顔を覚えるくらいたびたび祈祷していただいていたので感謝しかありません。
受付の方達は神主さんに敬意をはらって働いていないんでしょうか?
ですが、私達こそ神主さんからカメラごときによびだして非常識だと思われたんじゃないかと考えてしまいます
終わった事ですが、今でもやはり思い出すとひたすら申し訳ない気持ちになります。
このなんて事をしたんだろう…というモヤモヤはどうおさめていけば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その受付の方三人には何か訳があったのでしょう。それに写真を撮る義務は無いのですからね。あなたの怒りは自分の心の中の「〜なはずだ」という先入観や、「〜するべきだ」という正義感が生み出したものだと思いますよ。
「下っぱ」という言葉もあなたが相手を見下している心から出てきた言葉ですね。
このような気持ちは少し抑えた方がいいですよ。
自らの心を見つめ直しつつ、次からは参拝しているお客の中で親切そうな人に写真を頼みましょうね。
神主さんに対しては、次にお会いした時に先ずはお礼を言って、それから「受付の方に頼んだのですがわざわざ神主さんを呼びに行っちゃってお手数かけてすいませんでした。受付の方が写真を撮ってくれたらよかったのですが、やっぱりそういうことは禁止されているんですかね?」とそれとなく事情を言ってはどうかと思いますよ。神主さんも事情を理解してくれるでしょうからね。
質問者からのお礼
人のせいにしてしまい相手の事ばかりせめてしまってる自分に気付かされました。
自分が恥ずかしいです。