他者に寛容になり情緒の安定した人間になりたい
初めてご相談させて頂きます、ハルと申します。
私は現在大学生なのですが、日常生活での心の持ちようについて悩んでおります。やや長くなります。
大学生活で自分に関係あることないこと問わず些細なことでイライラしてしまいます(自分が神経質で傷つきやすいきらいがあるからではないかと思っています)。
例えば、大学の講義は普段さぼっておいてテスト直前になったら平然とノートを借りに来られたり、真面目に授業に出ている友人に代返させている人を見たりといったときです。友人が授業さぼるのも嫌いです(頭ではそういうことは友人の勝手で私が口を出すことではないのは理解しています)。
またサークルの話し合いが無駄話で延長されることや、「今日○○するから来て」などといったいきなりの呼び出しをされること、約束の時間に遅れられることなども他人に自分の時間を持っていかれる感覚になり不愉快になってしまいます。
このような人間であるため気分を害しやすく、感情に振り回されてしまっている状況です。
こうした感情を自分の中に仕舞っておければよいのですが、未熟者のため私は顔や態度に出てしまいます。他人にも不快な思いをさせてしまうし、他人に嫌われたくないという気持ちも強く、マイナスな感情を外に出してしまったあとでいつも後悔します。
自分のマイナスな感情に振り回されることなく、少々のことには寛容に生きていきたいのですが、どうにもこれができません。どういう心構えでいれば瑣末なことに目くじらを立てずに済みますでしょうか、お知恵をお貸しください。
拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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有罪? 無罪?
「他者は自分とは違う」と割り切ること
他者は
自分とは違う人間ですから
自分とは違う価値観を持ち
自分とは違う行動をします。
他者が自分の思い通りにならないのは
当り前なんです。
それなのに
他者に期待しているから
裏切られたと感じ
イライラしてしまうんです。
「期待しないけど信頼する」
そういう心持ちになれませんか?
質問者からのお礼
転落院さま
ご回答ありがとうございます。なるほど!と感じました。確かに私は他人の行動に善悪をつけすぎているのだと思いました。自分自身も常に非のない人間ではありませんし、他人のことはさらりと流していけるよう努力いたします。
和田隆恩さま
お答えいただきありがとうございます。他人のことは信頼しているけれど、他人が自分の思っているようには動いてくれないのだということを頭でだけでなく心から納得し自然と受け入れられるようになろうと思います。