初出店
こんにちは。
3月3日に
占いのお店を、初出店します。
楽しみなのと、いろんなお客様のお悩みを少しでも解決できるように頑張ります。
読んでくれてありがとうございました。
フリーター兼占い師のお仕事をしています。 とても楽しく幸せに毎日、過ごさせていただきます。 些細なことも解決してくださる 和尚さん方には感謝しています。
負けず嫌い 発達障害です。 アスペルガー症候群です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲心を忘れず、悲心におぼれず
ゆうちさん、お久しぶりです。いよいよ、本格的に占いを業務にするんですね。おめでとうございます。
改めて言わなくても既に十分自覚されていると思いますが、無償で行う場合と違って、責任を伴います。ご注意ください。
回答のタイトルがわかりにくいかもしれませんね。ちょっと解説します。
仏教語でkaruṇā[カルナ]という言葉があります。人々の苦しみを分かち合い、人々の苦しみを少しでも軽くしてあげようとする心のことを言います。このカルナという言葉は、悲あるいは悲心と漢訳されています。
悲心とは、相手の悲しみ、相手の心の痛みを、我が悲しみとして、我が痛みとして受け留め、相手に接していくことです。よく喩えられる例としては宮沢賢治の『雨にも負けず』の中の「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き」があげられます。相手への共感共鳴することが大事です。
占いというツールを用いて、依頼者のカウンセリングを行う場合、常に悲の心を忘れず、依頼者に接していただきたいと思います。悲心という言葉は「思いやりのことです。」と説明されることが多いと思います。この説明が間違っている訳ではありません。二人の人間が居て両者の立場に上下関係が成立している場合(占い師と依頼者もこれに当たるでしょう。)、時として我々は上から目線で相手を見たり、上から目線でものを言ったりすることがあります。「同情する」場合、実際結構上から目線の場合が多いと思います。こうならないような注意が必要です。
尚、共感共鳴は大事ですが、注意が必要です。相手の痛み悲しみを我がこととして受け留めることは大事ですが、相手の悲しみに浸りきっては駄目です。
少しばかりですが、傾聴活動を経験しました。相手の気持ちをほぐし、相手の立場に立ってあげ、相手の気持ちを受け入れてあげることは大事です。相手が悲しんでいるからと言って、ただ一緒に泣いてばかりいては駄目ですよね。時には一緒に涙が流すことも必要ですが、ずうっと泣きっぱなしではカウンセリングにはなりません。共感共鳴しながらも、冷静に相手の観察し、言動や背景から問題点を探りましょう。そして、どういう指針を与えカウンセリングをしていけば良いか、考えていきましょう。
御活躍を期待しております。