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人をゆるしたい時

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認識できないくらい大きな壁を前にしたような、どうしたら向こうに行けるのかが検討つかない状態です。
力をお借りできれば幸いです。

最近、私はゆるされたいことに気づきました。
観察すると、人との摩擦で湧く辛い感情は、摩擦に触発されたゆるされたいという気持ちが表面化したものと分析できます。
物事が思い通りに運ばない時、または一般に良いとされる状態が続く時に、ふいに死にたいと思うのですが、思えば、ゆるされない状態が続くなら自己保存として死を選択したいと思ってのことでした。

それは、おそらく育った環境に起因するものと思われます。
家庭が外に開かれることなく、激怒している母と見ているだけの父そして怯えている姉妹へ、ごめんなさい許してと泣いてすがる子供の必死さが、私の正しく生きねばという緊張感に繋がるのかなと。

そこに気づいてからは、傷つけられた怒りが心を支配し、両親を内外に責めました。
でも、一向にゆるされたいという望みが叶うことはありません。
また気づけば、ゆるすことが出来ないとは、私を苛ました人たちの行いを繰り返しているだけです。

いつまでもその人達と己の怒りに支配されるより、そこを脱却して自分の人生を歩みたいと思うようになりました。
ゆるされたいのなら、まずゆるす。
これをすれば、何処にいても自分は自分でいられるのではないかと考えています。

だから、親にゆるされたいのなら、親をゆるそうと思っています。
でも、傷ついた自分がいたことをどうしたらよいのか分かりません。
いなかったことにして親をゆるしたら、怒りが増します。
いたと認識すると、なぜこんな目にという怒りになります。

どうすれば通れるのだろうと考えています。
取っ掛かりか、亀裂か、地面か、補助具か、何か見つからないかと思います。
もしくは、そんな壁はなかった、巨壁でなかったと気づける何かを探しています。

人から認められたいからではなく、自分が自分であるために人をゆるしたいと思っています。
もしかするとその意味でゆるすのは初めてかもしれません。
何か、御指南を頂けると幸いです。

2019年3月5日 16:48

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

許すとは何か?

質問読ませていただきました。

幼い頃から辛い経験をされ、それが今でも心の大きい部分を占めて自分を苦しめているのですね。心中お察しいたします。

さて、「自分が許されるためには、まずは相手を許す」ということに気づかれたこと、本当に素晴らしく素敵なことではないでしょうか。
なぜなら、相手にされたことに怒り、それを相手にぶつけ返す。これではいつまで経っても同じことの繰り返しです。いえ、繰り返された分だけ怒りは蓄積されてくるでしょうし、負の心はどんどん自分をむしばんでいきます。
そして、その負の心は自分の言動にあらわれ、周りの色んな人に影響を及ぼします。怒りをぶつけあう当人同士だけではなく、多くの周りの人を巻き込んで、最終的には自分の周りには誰もいなくなるでしょう。
その連鎖を断ち切るために、相手を許すことが大切だと気づかれたことはとても素晴らしい事なのです。

しかし、許すとはどういうことでしょうか?まず、相手がしてきたこと、自分がされたこと、それによって受けてきた被害や苦痛、そういったものを全て勘案し受け止めます。そして、それらを自分の怒りとしないことを自分に納得させて、初めて「許す」という行為になるわけです。
言葉や表面上だけで「相手を許した」と表現することではありません。それでは何の意味もありませんし、許したことにはなりません。

それを踏まえて、あけがたさんの親御さんのことに当てはめてみましょう。
まず、傷ついた自分という存在はいなかったことにはなりません。間違いなく傷ついた自分は存在していたのですし、それを無視して今現在の自分というものは存在し得ないのですから。
そして、傷ついた自分という存在を認めた上で、その傷つけられたことを怒りとせずに昇華させるのです。
そのための方法は人それぞれ色々あるでしょう。たとえば、「許すことで許される」という大切なことを気づかせてくれたのは、親の仕打ちあってからこそだ。と感謝の気持ちを持ってみることもその1つかもしれません。

このように書くと、「許す」という行為は、とても難しくなかなか実践しがたいものであるように感じられます。
しかし、実践しがたいからこそ尊いし、価値があることなのです。

何か少しでも参考にしてみて下さいね!

2019年3月5日 18:39
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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の自然に囲まれたお寺で...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
時間がかかりましたが、咀嚼しました。

おそらく、今は私の悲しみを受け止める段階にいるのだと思いました。
なかなか苦痛を受け止める覚悟が出来ず、怒りに変える方が楽だったのかなと己の心の流れをとらえております。
幼い頃の私が本当に欲しかったのは、窮地での大丈夫だよの一言だったんだろうと思います。
悲しむ自分に今の自分がかける言葉としたいです。

怒りにせずに昇華する、難しい作業です。
先ほど、またも怒りに囚われている最中でしたが、遭遇した母の知り合いから母にそっくりねと言われました。
その時、おそらく母はこの怒りに囚われ続けているのだと思いました。
母と私(と姉妹)の関係は、祖母と母(と兄弟)の模倣だからです。
おそらく祖母もその親から受け継いだ何かがあるのでしょう。

そう思うと、なんとも辛い呪縛だと思わざるを得ません。
ただ、私がこうして気付きを得たのは、祖母や母が必死に生きたからだとも思います。
良いも悪いも、彼女らの積み重ねがこうして私に結び付いたのだと考えることにしました。
そう思うと、母の行いを肯定することは出来ませんが、かたくなに否定したい気持ちが和らいだように感じます。

お話を聞いていただき、また丁寧なご回答をいただき、感謝の限りです。
まだ悩む時期が続くでしょうが、諦めずに取り組もうと思いました。
ありがとうございました。

追記のお礼

蛇足ですが、届けばいいなと思って追記致します。

先日の夜、変わらない母の言動がきっかけとなって、一人で大泣きしました。
素直にその仕打ちが辛いと心身で理解しました。
それは、自分が辛いと感じたこと、それは誰であっても否定出来ない、
辛いことを辛いと思っていいのだという体験でした。

ゆるすとは一見して概念ですが、実行には思考体験だけでなく身体の体験も肝要なのだと理解しました。
どちらかではなく、それが一体になった経験が必要で、その積み重ねがゆるしに繋がるのかなと考えてます。

仕事先で、清々しい顔をしてると言われました。
ようやく一つ、苦痛を受け止めることが出来ました。
今後も実践に努めたいと思います。
ありがとうございました。

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