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私は潔癖症です

回答数回答 2
有り難し有り難し 33

私は潔癖症です。色々な意味で。
自分自身の汚い部分から目を逸らして潔癖な生き方をしてきました。
(時に周囲に厄介ごとを押し付けてきた部分もあるかもしれません。)
潔癖症であるがゆえに、己は精神的に幼く脆いと自分では考えております。
なので、なんとかしなきゃなと思う反面、自分自身の潔癖症なところも好きだと申しますか、捨てることが出来ません。
どのように折り合いをつけていくべきでしょうか。
お坊さん、お知恵をお貸しいただけると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

歩く七慢心

”厄介ごとを押し付けてきた部分もあるかも”
それは…潔癖症なのかなぁー???
あなたの場合は潔癖ではなく【慢】なのでは?

【慢】【過慢】【慢過慢】【我慢】【増上慢】【卑慢】【邪慢】
ひとくちに慢心といっても、じつは7つも種類があるんだよ。
ここではそれぞれを詳しく解説はしないから、興味があればググってみて下さい。自分を潔癖だ、完璧だと見るその視点を少し引っ込めて、上でも下でも右でも左でも前でも後ろでもないニュートラルな自分を見つけ出し、どちらにも偏らない自分の立ち位置を確認できれば、きっと何に対しても余裕やアソビが生まれてくると思うよ。

<追記>
”もしかしたら転落院さんも自覚なく傲慢であられるのでは? ”
もしかしたらどころか、もちろん傲慢さはありますよ。言われるまでもなく、私のもっとも痛い欠点のひとつです。事あるごとにコレとの格闘ですよ。まあ、かつてはコレを自分の潔癖さだと思っていた時代もありましてね。自分の経験則から回答させていただいた次第ですが、何かお気に障りましたか?

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有り難し
おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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あなたは清らかです

拝読させて頂きました。
あなたは尊くて清らかな存在です。あなたが頂くものや召し上がるものも清らかです。そしてあなたが排出するものや捨てるものも清らかです。
なぜか?それは巡り巡って再びあなたの目の前に現れてあなたの一部になるからです。
ということはつまりあなたも周りのものも人もあまた全てが清らかなのです。
つまり不浄なものなどないのです。
あえて不浄なものといえば他をさげすみ偏見をもち悪意や悪業を行う私達の心つまり煩悩こそが不浄なもののもとになっているのではないでしょうか。
ゆっくりと自分や周りの方々も見回してみることも良いかと思います。

以前私も潔癖症でした。いつもいつも除菌ウェットティッシュや除菌スプレーを持ち歩き、やたらめったらこれ見よがしに自分の周りを拭きまくりました。当然ながらトイレでもそうでしたね。そのような自分自身をちょっとずつ距離を置いて見つめなおしてみるといかに自分自身が愚かで排他的な汚れた心の持ち主であるかがわかります。
本当の汚れや貧しさは心の中に宿るのです。

あなたが心身ともに清らかに豊かに成長なさっていかれて潤いのある毎日を皆さんと一緒に生きていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
>あえて不浄なものといえば他をさげすみ偏見をもち悪意や悪業を行う私達の心つまり煩悩こそが不浄なもののもとになっているのではないでしょうか。
>本当の汚れや貧しさは心の中に宿るのです。
すごく納得しました。
と申しますのも、私が過度な潔癖症になったきっかけというのが、10年以上前になりますでしょうか。
学生時代に周囲と打ち解けずに、いわゆる、イジメにあったことがきっかけだったように思います。
イジメといっても、原因は私の方にもあったと申しますか。
家庭内でも不和があり、心の休まる場所がなく、追い詰められて普段から独り言が多くなってしまっていたため、周囲のクラスメイドも不気味で怖かったのでしょうね。
暴力の対象となってしまいました。
家にも学校にも居場所のない私が当時、自分自身を守るためにしたことは「空想の世界へ逃げること」でした。
空想の世界は、いじめや暴力、差別のない理想の世界です。
当時、学生でしたので、目の前の苦しみから物理的に逃げる手段を当時の私は持ち合わせておりませんでした。
苦しい現実から逃げるため、当時の私にできたのは目の前の現実を不浄とし、清らかであるはずの空想世界を構築することでした。
そんな苦しい学生時代を終えてから10年近く経ちます。
きっと現在の私は無意識に、あの頃の傷の影響を受けているのでしょうね。
このたび、Azuma様よりご回答をいただきまして、ふと過去を振り返り考えるきっかけとなりました。
>あなたが心身ともに清らかに豊かに成長なさっていかれて潤いのある毎日を皆さんと一緒に生きていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
ありがとうございます。精進していきます。

それと、確かに私には傲慢な部分もございます。
けれども、傲慢な性格を私は受け入れております。
程度の差こそあれ、傲慢な面を持ち合わせている人は多いと思います。
私にも傲慢な部分があるからこそ、人の傲慢さを笑って受け入れることができるのだ、と考えると傲慢さも悪いことではないと考えております。
むしろ、自分自身の慢心を自覚せずに、「自分にはやましいところなど何もない」と考えることこそ、恐ろしいことだと思います。
さて、人は自分自身の鏡と申します。
差し出がましいようですが、私から傲慢さを感じ取ったのであれば、もしかしたら転落院さんも自覚なく傲慢であられるのでは?
傲慢であること自体は問題ではございませんが、自覚されることが大切であると私からもアドバイスさせてください。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ