罪も人も憎まず、忘れ去る事はできますか。
亡くなった父の遺品の中から
多額のお金、保険金、株、土地などを騙し取られたと思われる書類が出てきました。
弁護士さんは、遺族が警察に届け訴えをおこせば戦えると言っていますが、
戦って物が戻っても父は蘇るわけでもなく、大きな心の傷が癒えるはずもないので、
騙された方にも落ち度があったのだから
私はこの事を一刻も早くなかった事として、全て忘れたいのです。
今はふとその事が頭をよぎる度に
激しい怒りと苦しみに襲われます。
どうしたら頭から全て消し去る事ができるでしょうか。
喪失感に耐えられない 人、物問わず、無くした時の悲しみが大きい 特に他人によって無くされたり、理由のわからないままに人がいなくなると、ダメージが大きい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慈悲の冥想
MAさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
お父さまの遺品から、お父さまが騙された証拠らしきものが出てきたのですね。
お父さまを思う気持ち、お父さまの無念を想う気持ち、相手に対する怒り、このことについて考えたくないという気持ち、様々な気持ちがないまぜになってしまっているのではないでしょうか。
「罪も人も憎まずに」というのは、とても難しいことです。
ダライ・ラマ法王も「人を憎むのではなく、誤った行為に怒りを持つのは悪いことではない」とおっしゃっています。MAさんのお話をお聴きすると、罪も人も憎まないというのは、それこそ仏さまの心になることのように、難しいものだと感じました。
でも、たとえ裁判をして勝ったとしても、お父さまが蘇るわけでも、喪失の傷が癒えるわけでもないのも真実です。MAさんは、そこに気づいていらっしゃいます。
お父さまが大切な方だったからこそ、激しい怒りと苦しみに襲われるのです。だからそれを、頭から消し去ることは至難の業です。
もし可能であれば、お父さまとの楽しい思い出を頭に浮かべるようにして、激しい怒りが生じるようなことから極力避けて下さい。
もうひとつ、「慈悲の冥想」というものがあります。
長くなるのでリンクを貼っておきますが、呼吸を落ち着けて実践してみることで、少し気持ちの方向性が変わってくるかもしれません。よろしかったらお試し頂ければと思います。
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
質問者からのお礼
なごみ庵浦上哲也さま、ご回答をいただき、ありがとうございました。
慈悲の冥想という仏教の言葉は、私がとらえている言葉とは大きく違いましたか、私の嫌いな人にも幸せがきますように、という境地に年月とともに達していけたらと思いました。