ある宗教の子
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私はある宗教の2世です。
親がもともと入会しています。しかし私は嫌です。
私は4月から就職するので、親が私のためになるからといって、御本尊を持っていけと言います。なんと言おうと強制的に持って行かせようとしてきます。
私はそれが嫌です。
高校生の時も私は親から指定の大学に行けと言われていました。私はそれが嫌だったので別の大学に行きましたが。
私は辞めたいですが、親のことを考えると辞めれません。
親から言われたくないし
家に自分が寝てる時に勧誘してくる奴もうんざりしています。この状況打破する方法ないでしょうか?
すいません、ほとんど愚痴みたいになりました。
それでも、やりたい人がやればいいのに強制的に参加させようとするのはおかしいし、それ以外を悪く言うのはおかしいと思うのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
己れの信じる道を
拝読させて頂きました。
あなたはもう成人なさってこれからご自分で自立なさって生きていかれます。
あなたはこれからのご自分の人生を先ずご自分の信じる道をご自分の選択でご判断なさって生きていかれるのです。
今まで親や家庭や沢山の方々から支援を受け育まれて成長なさっていらっしゃいました。そのご縁に感謝なさりながらもあなた自身生き方で歩んでいくことができるのです。
おそらくあなたもご存知のお言葉でありお釈迦様の教え「自灯明 法灯明」
自らをともし火として寄る辺として、真理をともし火として寄る辺としてどうぞしっかりと歩んでいって下さい。
あなたが己れの信じる道をしっかりと歩んでいかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
プライドの煩悩は宗教者にもある
数ある煩悩の中でも、慢という煩悩、プライドの煩悩は、最後まで残る煩悩(最高レベルの悟りに達するまで残る煩悩)らしいです。
プライドの煩悩があると、自分の価値を気にして、自分のこだわりに執着(自分を否定されたくない)したり、自分を他人と比べたりしてしまいます。
なので、欲・怒りなどがかなり減っている聖者にも、プライドの煩悩はある。
宗教者にもたいていはプライドの煩悩があるのです。
ですから、他者をけなして、自分たちは素晴らしいと思いたいのです。
また、新興宗教にハマる人の中には、自分たちのプライドを満たしてくれるツールを求めている人々もいます。
自己肯定感が低い人、基本的人権をないがしろにされていると感じているような社会的立場の弱い人、貧困、病弱など、「満たされない」苦しみを感じている人々にとって、プライドを満たしてくれる宗教は「救い」に感じます。
他人とは違う特殊な能力を手に入れたような優越感などを、新興宗教でいい具合に刺激されるのです。
それはそれで良い面もあるんですが、仏教的な立場(自分と他人の悩み苦しみを減らすための教え)で考えると、
プライドを満たしてあげる「救い」だけではなく、その先に、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を弱めていく方向性が必要な気がします。
具体的なアドバイスにはなっていませんが、「あ、そうか、この人たちもプライドの煩悩のために苦しみもがいている人々なんだな」と、暖かな眼で見てあげると、ちょっと心の余裕ができるかもしれません。
質問者からのお礼
お二人とも回答ありがとうございます。
親と話し自分の考えで生きて行くと伝えることができました。