希死念慮
もう何度か相談させていただいているのですが、希死念慮が強まる一方です。
愛されて育った自覚もあるし金銭的に困っているわけでもないのにとにかく早く死にたいと毎日毎日思っています。
しかし自死する勇気はありません。
ドナーとして役に立ててほしいから飛ぶのはもったいないし吊るのも汚いし掃除する人困るだろうなみたいな…
結局なんだかんだ理由付けしてしまって勇気がありません。
病気の人には失礼ですが自分が病気で死ねればいいのにとか事故にあって死ねればいいのにとかずっとそんなことを考えてしまいます。
生まれてこなければよかった。
そのくせ普通にご飯は食べるし夜は普通に寝れるし友達と話せばそのときは楽しいし鬱というわけでもなさそうです。
たまたまカウンセラーと話す機会がありましたが、君がそう考える原因が理解できなかったと言われました。
この死にたい気持ちをどうしたらいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
深刻になっても仕方が無い
死にたいけど死ねない。
ならば、死にたい気持ちを抱えたまま生きるしかないね。
長い人生、生きていれば死にたいと思うことだってありますよ、私もそうだし、誰にでもそんな瞬間はあるはず。
つまり、多かれ少なかれ誰もが「死にたい気持ち」を抱えながら、それでも生きているんだと知っていただきたいのです。
結論はすでに出ていますよね。
「死にたいけど生きる」
ってことでしょ?
ならば、今までそうしてきたように、川を見たら「入水して流されたら」とか、踏切では「今ここで飛び込んだら」とか、その都度、心の中で自分が死ぬイメ-ジを妄想していればいい。
頭の中で想像しているだけなら、誰にも迷惑をかけるわけでもないし、やりたい放題です(笑)
死にたい自分がいるのなら、無理に否定すること無いよ。
そんな自分も愛でてあげなさいよ。
そんな自分ですから
拝読させて頂きました。
ふと死にたくなることはありますよね。死ぬことは怖いけれども死にたくなったりするものです。それはあなただけではないと思いますよ。
私は以前から病気をわずらっていた頃何回も死のうとしました。ですがなかなか死にきれませんでした。今でもよくその時の夢を見ますし、ふとした瞬間に死にたい記憶がよみがえってきます。それは私が終生持ち続けていく心だと思います。そのような自分ですけれども今生きています。
そんな自分を認めて生きるのが私の生き様かな、と思います。
あなたならではのお気持ちやお考えもあるかと思います、そういう自分であると認めてみて気持ちを楽にして生きてみるのも悪くはないと思いますよ。
質問者からのお礼
大変大変返信が遅くなってしまいましたが、ありがとうございました。
希死念慮はずっと消えないままですがまだ生きてます。