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死にたい気持ちと向き合うには回答受付中

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希死念慮が何年も続いています。
精神科に通って、健康に生活するための方法を試してはいるのですが、死ぬための方法や場所を調べたり、遺書を書いたり、具体的な形になってしまいそうです。

それでも、大好きな人がいて、大事にしたいと思えます。彼ら彼女らも、同じように愛情を注いでくれます。
幸せだなと思います。恵まれていると。
苦しい過去も、今の道を行くために必要な事だったと、理屈では分かっているのに、死にたいという気持ちが消えてくれません。

頑張りたいと思えることも出来て、努力する事も苦痛とは思いません。明るい未来を想像するのに、ふと気がつけば死に方ばかり考えてしまっています。

幸せであることと、早く死にたいと願うことは、矛盾しているように思います。大事な人たちを悲しませたくないと思うのに、上手くいきません。
幸せを噛み締めたいのに、どうしたら今を大事にした事になるのか分かりません。心の底では、自分の幸せも当然な事だと思っているから、死にたい気持ちがなくならないのでしょうか。

死にたい気持ちをどう扱ったら良いか、ご助言の程、よろしくお願いします。

2025年5月6日 19:53

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を認めて、許してあげましょう

ご相談いただきありがとうございます。「幸せを感じ、大好きな人たちがいるのに、死にたい気持ちが消えない」という苦しい葛藤に悩むあなたの思いを、しっかり受け止めたいと思います。まずお伝えしたいのは、幸せを感じる気持ちと死にたい気持ちが共存するのは決して異常なことではありません。これらはどちらも、あなたが生きることに真剣に向き合っている証拠です。大切なのは、この二つの感情が共に存在していいと、自分を責めずに受け入れることです。 

「死にたい」という気持ちは、これまでの苦しみや痛みの積み重ねから生まれた自然な感情です。この気持ちを無理に消そうとするとかえってストレスになりますので、「今の私はこう感じているのだな」と穏やかに受け止めてください。仏教では、苦しみも人生の一部であり、その中で「今ここ」に意識を向けることを大切にします。ふと死を考えてしまう時こそ、目の前の幸せや小さな喜びに目を向けましょう。たとえば、誰かと会話したり、美しい風景を見たり、温かな飲み物を味わうなど、五感を通じて「今」を実感することで心が少し軽くなることがあります。

また、「大切な人たちを守りたい」という感情を意識してください。仏教の教えでは「利他」の行いが自らの心の平穏をもたらすと言われています。相手に笑顔を向けたり、小さな手助けをしたりと、他者のためにできることを考えることで、心の中に生きる価値を少しずつ感じられるかもしれません。

「過去も必要だった」と思う一方で、それを心から受け入れきれない自分がいることもあるでしょう。それも無理に解決する必要はありません。むしろ、過去の経験を背負ってここまで生き抜いてきた自分を、まずは「よく頑張ったね」と労わる時間を作ってください。

あなたがここに苦しみを書いてくださったのは、「生きたい」という気持ちがあるからだと感じます。矛盾する感情を抱えながらも、少しずつ受け止めながら前に進む自分を許してあげてください。一歩一歩、無理のないペースで歩まれる道を、心から応援しています。

このhasunohaでは基本的に一往復のやり取りしかできません。よろしければhttps://bouzsanga.org/
こちらにどうぞ。合掌

2025年5月6日 21:23
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有り難し
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仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せるのかを常に考えます。 資格:日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト。JADP認定心理カウンセラー
平日19:00から21:00に受付ます。

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