一番の友達とは何でしょうか
私は友達が多くない方ですが、大切な友達が数人います。何年も仲良くしてくれていて、今でも時々遊んでいます。
しかしながらふと考えてしまうことがあります。私にとっては大事な友達でも、彼女たちにとっては私は友達の中の一人にしか過ぎないのではないか。親友と思っていないのではないか。と思ってしまいます。
もちろん、すごく大切な友達ですし腹を割って何でも話せる仲でもあります。互いに相談することもあります。
ですが、Twitterやインスタグラムなどを見ていると彼女たちが別の友達と遊んで『一番の友達!』と投稿していたり、楽しそうにしているのを見ると、私が彼女たちと関わっていくのは迷惑なのではないかと考えてしまうことがあります…。親友と思い込んているのは私だけなのではないかと。
もちろん今まで友人たちにしてもらったことはとても感謝していますし、かけがえのない存在だと考えています。私も彼女たちに何かあったらすぐに助けたいと思います。
こんな風に考えてしまうのは私が依存体質のような、頼ってばかりの性格だからだと思っています。
環境の変化などで友人たちの人間関係が変化することもわかっています。もちろん私にも友達が少しではありますが増えました。
しかし私にとっては彼女たちは長年の付き合いがある数少ない大事な友達なので余計に辛く感じてしまうものがあります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が親友と思えたら、それで充分。
そう思える人がいるだけで
素晴らしいではありませんか。
相手が同じように
自分を親友と思っていてくれるかどうかは
二の次です。
自分の気持ちの方が大きかったら
確かに少しは寂しいです。
お互いの想いが同じレベルなのが理想でしょうが
でも好かれるより
好きになる方が大切だと思いますよ。
私には一人だけ一番の友達がいます
私には一人だけ一番の友達がいます。常につるんでいて、なんでも言い合える仲で、きついことを言われることも、言いにくいことを言われることもあります。またときにはけんかもします。それでもお互いを信頼し、付き合っていくことができる無二の親友がいるのです。他に友達がいないかといえば、そうではありません。温かい人間関係の中で暮らしています。年に1買いあうくらいが精いっぱいの友達が多いですが、それでも友達なんて自分が思っていればそれでよいのですよ。相手にどう思われるかなんてあまり気にしないことですよ。
私には一番と呼べる友達がいません
私の数少ない友人関係は皆、利害によって成り立ちます。
その人たちとすごす時間が楽しいという利害です。
私は自分の時間をとても大切にしているので、ともに時間をすごす人は皆親しい友人と思えています。
ただかけがえの無い関係かといわれるとそうでもありません。
友人はいなくてもそれなりに過ごすことはできます。
人それぞれが自分の所有時間(人生)に対してどのような思いで過ごしているかによって当然温度差はありますからその価値観が同じなら親友と呼べるかもしれません。
ちなみに、人間同士が心底分かり合うということにはそもそもの無理があるので、コンピュータープログラミングのように動作が正確に保障されないと言う前提で友人関係を作るのがラクかと思います。
認め合っていくことが大切
拝読させて頂きました。
友達とは末永く人生を共にしていく人のことですから、これから長い人生の中ではより深く付き合うこともあるでしょうし、細く長くお付き合いなさる方もいるものです。
今一番仲が良いと思っていても長い付き合いではお互いの関係は変わってもいくのです。
ですから誰が一番でなきゃいけない等々のお気持ちよりは自然に付き合いながら相手の気持ちを尊重して理解し合っていくことが大切です。
私達はそれぞれに生まれも育ちも違いますし、価値観や生活感も人生観も違っていていいのです。それを付き合いながら知っていく認め合っていくことが大切です。
私もあなたもそれぞれの尊重される個人ですからね。決して独占したり専属のようなものではありません。
あなたがこれから素晴らしい出会いの中でそれぞれの方を尊重し分かり合いながら共に仲良く成長なさっていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
素敵なお言葉ありがとうございました。皆様からの回答で、友人がいるということが素晴らしいことだと気付かされました。SNSなどの発展で少し人間関係が希薄に感じられていたのかもしれません…。
これからもいまの友人達を大切にしていきたいと思います。本当にありがとうございました。