怠けることは本当に悪ですか?
世の中では怠けることは悪いことで、頑張ることは善いことという風潮がありますがはたして本当にそうなのかと思います。
無理なことをしたり、絶え間なく多くのものを手にしようとあくせくしたり、自分の心に逆らって嫌なことを我慢したり、余計なことをしたりすることが褒められ、無理をせず、必要のないものは求めず、己の心に逆らわず、必要ないことはしないと蔑まれます。
とかく己の心に逆らって自分に鞭を入れて調教するような生き方が善で、自然体で己の心に逆らわず無理をしない生き方が悪とみなされるような世の風潮に疑問を感じます。
私は努力根性我慢成長の生き方より、ゆったり無理しない必要に迫られない限り何もしない自然体で怠けた生き方が心地よくて幸せを感じます。
私は間違っていますか?それとも世の風潮が間違っていますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何をどう頑張るか。過失は罪になる場合も。
仏教で「悪」とは、自分や他人の悩み苦しみの原因になることだと思います。
一般論として、「怠け」の煩悩は悪です。
ただ、何でもかんでも頑張ればよいというわけではないでしょう。
ブラック企業とか、社員が体調崩すくらい残業して利益を上げても、過労死してはいけませんからね。
怠けには、不注意や手抜きも含まれます。
集中力を途切れさせるのも怠けです。
仏教で怠けの反対は「精進」です。精進は、集中力を途切れさせないことと関連します。
交通事故や医療ミスなどで他人を傷つけた場合、悪意はなくても、過失(集中力をとぎれさせた怠け)が原因の場合は加害者が罪に問われますね。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は、悩み苦しみの原因になります。
怠けで失敗する場合もあれば、欲(快楽)・怒り(不愉快)で失敗する場合もあるし、プライドのために悩む場合もありますね。
過労死とかは、欲や怒りやプライドのために頑張りすぎるのかも。
また、休むべきときは休む、頑張るときは頑張ると、適切に判断するためには冷静さ、集中力が必要ですから、適切な判断を怠るのも怠けの煩悩かもしれませんね。
まぁ、休むときは休んでよいのです。
人生、できることをできる範囲でやるしかないのですから。
質問者からのお礼
怠けることが幸福に繋がるならそれは善なのですね。
ありがとうございます。