仏様とのご縁?について
昨日、観光と共にあるお寺さんの近くを通ったのでお参りをしました。
そこには「子宝・安産」と書いてありましたが
独身の自分には今のところ関係無いからなぁ…と思いつつも、書いてあった南無阿弥陀仏を唱えお参りをしました。
その後、御朱印をいただいた際にも「子宝・安産」と書いてあり、自分には縁が無い所だったのか、でも訪れたことが縁なのか…とマイナス方向に考え込んでしまいました。
実のところ、自分の周りはすでに結婚、出産しており、みんなを見送った後少し寂しくなり、資格取得の勉強をしたり、転職したり、労働者として生きる道をひたむきに歩いてきました。
「結婚(子供)はいいよ~」「結婚(子供)は大変だよ~」と色々な話を聞きながら、自分の話(仕事)なんてしても絶対面白くないだろうなーと聞くことばかりでした。
子供もいないから社会貢献も、生産性もない、ただの納税だけでどうにかやっているダメ人間なのかなーと思っています。
(過去に自分をイジメていた人全員が子持ちなので、自分にとって子孫を作ることは無理だと思っています)
その面白くないだろうなーという気持ちが、気分が落ちている時は「つまらない人生だから」となり、「こんなはずじゃなかった」「私だって」と気持ちが落ちていく一方になります。
そこでこのお寺と出逢ったことにより、心身の弱さのせいで不満が溢れていきました。
「なんでこんなところに来たのだろう」
今まで詳しくはないのですが、お寺に行くことがとても好きでした。
スッキリしたり、あーもっとちゃんとしなきゃなーと反省したり、清々しくなったような気になるからです。
なのでこんなドロドロした気持ちになったのが初めてで、自分でもびっくりしましたが、自分だけでは気持ちを改めることがどうしてもできませんでした。
折角いただいた御朱印の文字を見るだけで憂鬱になってしまいます(本当に申し訳ないと思います)
きっと訪れたことは「関係無くは無い=何かのご縁」とどこかで微かに思うのですが、どうしても腐っている自分の腐敗が強烈で気持ちを改めることができません。
なので、お寺に訪れることや、お参りをする「ご縁」のお話をしていただけたら(喝を入れていただければ)幸いです。
遠い場所ですが、反省して再度訪れるべきですか?
長文になりましたが、何卒よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ご縁」とは
ご相談拝読しました。
「ご縁」についてのご質問ですね。「ご縁」というと何か「運命」とか「不思議」とか「意味のある事」のようなイメージがあるかもしれませんし、世間一般でもそのような理解をされているかもしれません。
しかし、仏教本来の「ご縁」とは「条件」「対象」「環境」などの意味で、つまりあらゆるモノ・コトを成り立たせる「構成要素(成立条件)」のような意味合いです。
つまり、「ご縁」でないものなどないのです。私が生きていることも、あなたが生きていることも、あらゆる現象も全てご縁です。
さらには私自身・あなた自身も「これが私(あなた)の本体」と呼べるようなものは何もなく、全て細かくバラバラにして考えていくとわかるでしょうが「ご縁の集合体」でしかないのです。
ではあらゆる「ご縁」の中で、今回あなたが「子宝・安産」について引っかかりを感じたように、「何か自分に意味があるのかな?」「何か引っかかるなあ」と感じるのは何かというと、それは「渇愛」「執着」です。
「自分の思い通りにしたい」「都合の良いものを手に入れたい」、逆に言えば「都合の悪いものは遠ざけたい」という「思い・とらわれ」です。
ここで気をつけたいのはそれが「良い」とか「悪い」という話ではなく、だからそれをなくしてしまおうというのではありません。執着をなくそうとするのもまた「執着」でしょう。
そうでなく、「そういう自分に気づく」、「そういう自分がではどうするかを問うていける」、それが大事なのでしょう。
あなたは他者との比較やこれまでの生育過程の中で何かご自身のなかで頷けないもの・受け入れられないものがあるのではないでしょうか?
その一つのセンサーに「子宝・安産」が引っかかったのではないでしょうか?
勘違いしないでいただきたいのですが「全てを受け入れなさい」とか「何事にも感謝しなさい」という安っぽい教えを伝えたいのではありません。
私たちはどこまでいっても「執着」しかないのです。あなただけでなく私もそうです。その自分を知る・認める・受け入れる。
そこに「愚か者になって救われる道」が開けてきます。
何か立派なものになって救われるのではないのです。私たちがなれる程度の立派なものとは他の人を立派でないものにしてしまう様なものです。
この度のご縁をそうした気づきをいただく勝縁につなげていきましょう。
質問者からのお礼
法覚寺 吉武文法様
お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
自分が思っていた縁とは違う意味がとても新鮮で瑞々しい気持ちになりました。
でもまだ、しっかりと理解するには時間がかかりそうです(否定的に思っているわけでは全くなく、もっと調べてみたいな!という気持ちです)
執着は確かに…。
強い気持ちを持っていないと負けてしまうと思いすぎて攻撃的になっているのかもしれません。でも強い気持ちも必要な時ありますし…色々なことを時には受け入れ、時には受け流せることができるようになりたいですね。
まだ自分の中で、いただいたご意見を咀嚼するのに時間がかかりそうです。
でも、どうしても意見をいただいたことの感謝だけは早く伝えたく、なかなか上手な言葉にはまだできませんが、感謝申し上げます。
そしていただいたお言葉を自分の中で、時間をかけて自分なりに身につけていけるようになりたいと思います。
ありがとうございました。
★ちなみに私も北海道(函館ですが…)に住んでいたことがあります!たまーに野生の鹿が歩いていました!笑
関東は暖かくなりましたが、北海道はまだお寒いですよね。お風邪など、お気を付けてください。