私は死後どうなるのでしょうか?
前回有償著作物を無償で入手したことについて相談させてもらったものですが、仏教的にはたとえそのように入手した作品を削除しても窃盗として五戒に背いたことになるのでしょうか?
また、この罪を帳消しにするほどの善行をしたとしても地獄に落ちてしまうのでしょうか?
その事が恐くて恐ろしくて、何をするにしてもその事ばかり頭から離れません。自首するにしても追い返されるそうなのでどのようにすれば私の心が解放されるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫
阿弥陀仏はあなたを救うと誓ってくださっていますから、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、地獄に落ちる心配はありません。
どうぞご安心ください。
一方で、過去の罪についてこの世でしばらくは思い悩むくらいは、仕方ないと思いましょう。
故意にやったのなら、一応は盗みです。
盗んだ物を削除したとしても。
どうか、この苦しみや悲しみを、今後の人生でさらなる罪を重ねないための「お守り」、他人に優しくなれるための「パワー」に変えてください。
ただ、過去は過ぎさりもうない、未来は未だ来たらずまだないのです。
妄想雑念にとらわれ、思考の堂々巡りになると、ストレスの原因になります。
今考えなくてよいことは今考えないように、注意しましょう。
南無阿弥陀仏で人生のハッピーエンドは確定。
だから大丈夫です。
行いを反省しこれからの人生に生かすこと
人は意図の有無に関わらす、良いこと、悪いことを行います。周りに流されることもあれば、自己の利害によって行うこともあるでしょう。とかく人は様々な行為の後、あらためてその行為の善悪を、「やって良かった」、「失敗した、後悔した」と自己評価するものです。もちろんこれらは各人各様の差があり、軽く受け止める人、重く受け止める人がいます。しかしながら行為の結果は最後にはそれを行ったその人自身に帰結し、場合によっては世間の判断によって自身のみならず周囲にもその影響が及ぶことはしっかりと心掛けておくべきです。最近のネット動画の炎上騒動はその一例と言えるのではないでしょうか?
質問者様は今回の行いに対して恐らく大きな過失をしてしまったと後悔しておられる様ですね。ならば今後は今後は繰り返さない気持ちを片時も心から離さないように心掛けていってください。
今回の件について、死後の行く末を案じているようですが、一先ずそれは棚上げにしておき、これからは今回の一件を挽回することを考えましょう。自分を甘やかさず、人を傷つけす、人生への目標もって日々を送ってください。
質問者からのお礼
願誉浄史様、ご助言ありがとうございます。私は自分の行為が違法と知らなかったのです。善悪の判断がつかないほど幼稚でした。これからはこの事を深く反省し日々を生きていこうと思います。
寶川良隆様、ご助言ありがとうございます。これからは一日一善以上を目指して日々努力していこうと思います。死んだ後のことは神様にお任せしようと思います。