人や自分自身との向き合い方
私は、人に気を使いすぎてしまいいつも勝手に気疲れします。
知らない人が困っていたりそういうところにも気付きすぎてしまい、気付いたからにはもちろん手助けします。
人の顔色を伺って行動しすぎたり。
あと、昔からよく関係のない喧嘩に巻き込まれたり、私のせいにされて終わりになったりします。
また、友達の些細な一言にも深く傷つきやすいです。私は自身東日本大震災の被災者ですが、友達がそれを知りながら、私の所にも地震がきて引っ越せたらいいのにとか言われたり、ショックでした。
心が痛くて数日涙が止まりませんでした。
楽しかったことがある日に地震が来ると、頑張れていないのに遊んだ自分への罰かなと思ったりもします。。
完璧な人はいませんが、私が人の嫌なところに、目が行きやすいのか、心が狭すぎるのでしょうか?
他人の悲しみなどを自分のことのように本当に思って泣いてしまったり繊細すぎて、自分で自分が疲れてしまいます。
どうしたら、心を強く保てるのか、自分を愛して好きでいられるのかアドバイスいただきたいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素敵な長所に自信を持って下さいね!
質問読ませていただきました。
出過ぎた長所は短所にもなるとよく言われます。
困っている人を見たら見過ごせない、人の気持ちを理解しようとしてしまう。これはとても素晴らしいkmさんの長所です。
まさに「菩薩の心」とも言えましょう。
しかし、それ故に感受性が強くて自分が傷ついてしまったりするのでしょう。
心中お察しいたします。
さて、困っている人をほっておけないということにつきましてですが、やはり普通の人と比べて色んな人と深く関わる機会が多いでしょうから、色んな出来事に巻き込まれることもあるでしょう。
その中でトラブルに巻き込まれることもあるでしょうが、その反対に人に感謝されたりすることも多くあるでしょう。どうしてもイヤだったことばかりに目が行きがちですが、記憶に薄いだけで良かったと思うこともあるはずです。
どこに焦点を当てるかで、自分の考え方や気持ちというものは大きく変わってきます。イヤだったことではなく、kmさんに助けてもらった人の感謝や気持ちに目を向けて見て下さい。
必ずそれが自分の励みとなり、助けとなるでしょう。
また何かイヤなことがあったとき、たとえ同じ事でもそれをどう受け止めるかで全く変わってきます。
もちろん人それぞれ受け止め方があるので一概には言えませんが、私の考え方を1つの例として挙げさせていただきます。
イヤなことを受けて、自分の中で留めてしまってはそれが積もっていってしまいます。そして自分が押しつぶされて辛い思いをしてしまうでしょう。
しかし、そのイヤなことを「自分を成長するための糧」として受け止められるなら、何かしらの形で誰かに返すことが出来ます。
たとえば親の離婚を経験したなら、離婚して苦しむ人達の気持ちに寄り添ってアドバイスできるでしょう。
もしくはイジメを受けたことがあるなら、同じような目に遭っている人の気持ちに寄り添ってあげれるでしょうし、何か具体的な対処法を示してあげれるかもしれません。
このように、辛い出来事を自分の中で消化し誰かに返してあげる事が出来れば、自分自身も成長できて、さらに誰かをも救うことが出来るかもしれない。まさに幸福のスパイラルともいえるものを自分で作り上げれるかもしれません。
人のことを自分の事のように思えるkmさんには、ぴったりの方法ではないでしょうか。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。