亡くなった人について
8年程前に兄が不慮の事故で亡くなりました。22歳でした。年月が経った今でも毎日、お経を唱え墓参りをしています。亡くなった直後の夜、父の夢に兄が出てきたそうです。スマホの充電をずっとしていてほしいと言って消えたそうです。
これは兄なりの別れの言葉だったのでしょうか。スマホは画面ロックがされているため開くことができませんが、充電は毎日しています。
また、たまに仏壇や座敷から兄が吸っていた煙草の匂いがします。愛犬も何か気配を感じるのでしょうか、兄の写真を飾っている机の前に座りずっと一点を見ています。これは兄が家に帰ってきているのでしょうか。もし帰ってきているのであれば、直接、兄に伝えたいことがあるのですが、それは兄に聞こえるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「死後の物語」から今救われるという事実
大切な人は亡くなっても変わらず大切な人ですよね。お兄様への思いをお聞かせいただきありがとうございます。
人が亡き後はどうなるか。それは残念ですが誰にもわからないのです。この問いにはお釈迦様も基本的には語らず口を閉ざしています。
しかしわからないものをわからないままにはしておれないのが私たちの心でもあります。
ただ一つ言えることは「ある」とか「ない」とかいう話ではなく、今もこうしてお兄様のことを強く考えるあなたがいるということ。つまりあなたにとってのお兄様はあなたの心を離れてはいないということです。
あなたが手を合わせ、思うところにお兄様の姿があるのでしょう。こちらの言葉が聞こえるかどうかではなく、あなたの心の中のお兄様にあなたの言葉が届かないはずはないのです。
さて、この答えだけではモヤモヤは晴れてこないかもしれません。死後については誰もがみな考えるものです。そうした人の心に応えてくれるのが「死後の物語」です。
この物語は「歴史的事実」や「科学的事実」ではありません。しかしその物語に深く頷く人にとっては「宗教的事実」となるのです。それは「死後の物語から今私が影響を受ける」という事実です。
仏教でも浄土真宗が大事にする浄土三部経という三つのお経の中ではこの「死後の物語」について、「人は亡き後極楽浄土という世界に生まれる。そこは皆が平等に出会え共存できる苦しみの無い世界である」と説かれます。
「歴史的事実」や「科学的事実」の立場から見れば「そんな世界なんかないじゃないか」「確かめられないものは信用できない」で終わってしまう話かもしれません。
しかし、人の亡き後があるかどうかわからなくとも、残された人がそれを今考えているのは確かなのです。その人たち、つまりあなたが今お兄様のことを思える世界を「浄土と呼ぶ」、そこに救いがあるのです。浄土という物語から、浄土の願い・教えに出会っていく。
その時、お兄様はただのお兄様ではなく、あなたに大事な事を教えてくれる仏様として見出されてきます。
「いつも自分の事を考えてくれてありがとう。でも私はあなたが心配だよ。いつかは死ななければならないのは誰も同じ。そのあなたがどう生きるかか大事だよ。だからずっと見守っているよ。」
そのような仏様としての亡き人の願いが、今あなたがお兄様を思うところにはたらいてくるのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
コメントを読みとても心が晴れました。
仏様になるんですね。
亡くなった人には会えないし、こちらの言葉も聞こえないけど、心の中の言葉はしっかり届いているということを受け止め、いつまでも見守ってもらえるよう、1日1日を大切に兄の分まで、しっかり生き、精進したいと思います。ありがとうございました。