40代からの生き方はどう考えたら良いですか?
41歳男性です。
もうあまり頑張りたくないのが本音です。
もうゆっくり生きていきたいです。
23歳の時にうつ病を患って、今は元気ですがずっと17年くらいアルバイト生活で収入も乏しいので結婚は困難です。
生涯一人でも良いと考えています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ただ存在しているだけで無限の活動ができる
手があれば手で自身も相手をも救う。
目があれば、目の向かわせ先で自分をより良いものに高められる。
耳があれば、耳の方向け先で自分をより良い精神に導ける。
心あれば、心をしてより良い心へ導ける。
そのより良い心へ導かんと向上する力を持つことです。
それが菩提心の具体的な働き・作用になっていく。
お釈迦様も道元禅師もこの菩提心が絶大であったから、悟りを成し遂げ=人間として最も明晰な精神に目覚め、優しい心=慈悲、明晰な頭脳=智慧をもって多くの人を救ってくださいました。
それに救われた人たちが世の中で優しい活動たいになっていった。
だから、あなたも救いを求めてみることです。
心底満足すれば、人間の持ち前のケチな心を離れて差し上げられる人になる。
自分も他人も救ってあげられる人になる。
今日は埼玉では風が強く、畑の土が待っています。
でもただその景色があるだけなのです。
そこに人は見解を添える。
「明るい、暗い、まぶしい、風が強い、よい、わるい、すき、きらい…。」
そういう事をやっておられませんか。
こういう働きを評価マインド・見解頭脳・コメント煩悩アタマと私は名付けています。
人間にはそういう働きがあって、いつも目の前の真実を曇らせる。
今あなたは40だのアラフォーなどということなどどこにもない。
数字はトリック。
人にラベルを付けて真実を曇らせる。
俺はもう40だから云々。
それも人間の見解だと知るべきです。
ああ、こんなことをやっていてもダメかもなぁ。
それも人間の見解だと知るべきです。
冒頭の「ただ存在しているだけ」とは、ぼーっと存在しているということではなく、醒醒としている様子。
人間の条件付けの立たない、無心無我なる様子。
これから無心やら無我になるんじゃない。
元々、あなたが思考のおしゃべりをしなければあなたは40でも50でもない。
自分が自分のアタマで自分を動けなくさせるのです。
それは執着・躊躇・ためらい・迷いの一念。
良く読み直していただき、自身の心の曇らせを除去して安楽自由な働きを取り戻すためにも醒醒と生きてください。
今日あなたはチキンラーメンを食べようが、中華三昧を食べようが、サッポロ一番を食べようが、ビックリマンチョコを食べようが、ファミコンをやろうが、聖闘士星矢を読んでセブンセンシズに目覚めようがあなたの自由。人間は自分の選択を選べるのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
参考にさせて頂きます。