失敗ばかりの人生
私は人の目を見て話すことができません。
子供の頃に相手の目を見て話しなさいと教わったのに全くできていません。
仲良くなりたいと思っている人でも、なかなか目を見る事ができず、近くにある物や遠くを見ながら話したり、話すことすらも下手なので相手に嫌な印象やつまらない印象を与えてしまい、結局仲良くなれず、失敗ばかりで落ち込みます。
長い付き合いの人は一応目を見て話せるのですが、逆に目をジーっと見すぎてしまい、ふと右目左目のどちらか片っ方だけをずっと見ている自分に気付き戸惑い、どちらの目を見て話したらいいのかなど余計な事を考えてしまい、話に集中できなくなります。
嫌いな人と話す時は、どうしても相手の目を見ることができないので、嫌いなのがバレバレです。
本音と建前を使い分ける事もできません。
いつも心の中で本音が勝ってしまい、建前を使えばうまいこと通過できるのに建前が使えず、態度に本音が出てしまう…本当にどうしようもない人間です…
そんな自分に嫌気がさしている時に、まわりいにる、誰に対しても同じ様にコミュニケーションをとれる人を見ると、私は本当にダメな人間なのだなと実感し、自分がもっと嫌いになります。
こんなだから義父母や他の人にも可愛がられる事もなく、慕われる事もなく、大して仲良くなれず薄っぺらい関係になり、みんなに嫌われる一方なのだと。
こんな自分が嫌いで嫌いで仕方ありません。
こんな人間が生きている意味すらわかりません。
私のまわりには、家族はいても薄っぺらく、心の繋がりのある人は誰もいない孤独な人間です。
私のような何もない人間、生きる価値ないですよね、、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【 Trial and Error】 試行錯誤
人生に失敗がないと、人生に失敗する。
まだ成長過程や。
いやあ、結構。結構。
<追記>
成長過程の苦しみは、いわば「産みの苦しみ」。
コミュニケーションが上手になりたければ、できるようになるまで研究すればいい。腐って途中で止めてしまえば、そこで終わり。
柔道、剣道、合気道、書道、華道、茶道、、、そして仏道。これらすべての「道」には、ある意味ではゴールがない。道を歩み続けていくことが目的とも言える。これを【精進】という。
お互い、がんばろうね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
これまでも失敗ばかりの人生です。同じ事の繰り返し、またはより人を避けて、前より悪くなっている気もして成長できているのか分かりません。いつかもっと上手にコミュニケーションをとれるようになれるといいな…