hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人生を改めようと転職活動、ここのところ災難続きです。

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

こんばんは。
24歳社会人3年目の者です。

私は興味のある業界があり、かつ地元近くで働きたく、隣接した県でそこそこな会社があったので入社を致しました。

しかし実際の配属は全く違うグループ会社に転属。同期の内約5パーセントが転属となります。

ここで私の人生設計が狂いました。転勤の頻度も非常に高く、単身赴任が是とされる部です。上司も家庭環境がうまくいかず離婚、不倫と言った人ばかりで嫌悪感がありました。

しかし「配属が思うようにいかなかったから」と言って辞めていては社会人として生きていけないと思い今までなんとか続けていました。

しかし心に違和感を感じたまま働くより、もう一度改めて自分の行きたい業界を目指そうと、
転勤の頻度が高ければ高いほど今後一緒に暮らそうと考えている女性に迷惑をかけてしまうと
「自分も上司と同じく家庭に恵まれない人生を歩んでしまうのでは」
そんな思いに駆られ(自分の都合がいいように生きることができるわけない、世間知らずの若者と思われるのは百も承知ですが)退職願いを出し、転職活動を行なっている真っ最中です。

人生前向きにまだやり直せる再リベンジと考えていた最中に
・高速道路で事故、命は助かったものの車両は炎上、一週間前の保険の更新で車両保険を切った為お金はおりず。
・道端で酔っ払いにひたすら怒鳴られる
などと災難続きです。

人生の舵を自分で取ろうと躍起する私に対し神様が試練を与えているのでしょうか?
それとも何か過去に過ちがありそれに対する天罰でしょうか?
あんなに派手な事故を起こしたのにもかかわらず、生かされている意味は?

色々なイベントが重なり自分でも何をどうするべきかわからず、混乱しています。
今後の事を思えば思うほど不安になり、どうせならお迎えがこればよかったのにと思う毎日です。

拙い文章で申し訳ございません。
何か自分の人生に対してアドバイスを頂けると助かります。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教ではどうみるか

ご相談拝読しました。

転職活動を始め人生再出発と意気込んでいた中での災難続きで様々な疑問や不安が生じてきたのですね。

人生において起こる出来事の受け取り方は様々ですが、仏教的にはどう見るのかから考えてみましょうか。

「天罰」とか「神の試練」とか「生かされている」という言葉で出来事を受け取る時には、人は意識的・無意識的に「天罰や試練を与える主体」「生かす主体」を想定します。それこそいわゆる「神」のような「運命の支配者」や「世界の創造主」のような絶対的な存在です。

しかし仏教ではそのような存在を認めません。

「仏様」は?と思うかもしれませんが、最初の仏様は「人間」です。ゴータマ・シッダールタという一人に人間が「仏様」に成ったのです。ですからそういう意味では当然私たちと同じ人間ですから「運命を支配」できるわけでも、「世界を創造」したわけでもありません。

ただ、仏様が私たちと違うところは「真理に目覚めた」ということです。その真理は言葉で言い表せないものですが、それを何とか言葉で表現しようとしてきたのが仏教の教学の歴史でもあります。
その中で代表的なものが「縁起の法」です。ものごとには「原因があって条件がととのって結果が生じる」というシンプルな道理です。

仏教でも「生かされる」という表現はよく使いますが、それは「生かす主体によるもの」ではなく「様々な因(原因)と縁(条件)により成立している」というニュアンスです。

つまり、あなたが遭遇した災難もそうなる因と縁がととのったからそうなったということです。
では因と縁をととのえたら人生が思い通りにいき災難にも遭遇しないかというとそうではありません。因も縁も何一つ「思い通りにならない」ということも仏教の説く真理だからです。

人生設計は大事ですが、それは人知で思い計れる範囲での因と縁による予想でしかありません。実際の出来事は全て想定の範囲外です。

転勤も恋愛も結婚もそういうものでしょう。

どうなるかはわからなくてもあなたが再出発を志して転職活動を始めたように、頭で考えた事だけでなく「目の前の事実」や「心の深いところから促される感覚」も大事にして歩んでいってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ