「親が悲しむから死ねない」というのがわからない
「自分が死んだら親が悲しむから死ねない」という感情がわからないのです。
私は、もし自分が死んでも、たぶん親は悲しまないと思ってしまいます。
うちの親は「お金(教育費)をかけたのに無駄だった」とか「親孝行(介護)をアテにしていたのにいなくなった」と、私が死んで親が怒るイメージは想像できるんですが、親が悲しんでくれるイメージが想像できないのです。
だから、自殺を思い留まるときに「親が悲しむから」という理由が理解できないのです。
この事を、友人に話しをしたらドン引きされてしまいました。
なんで皆んなそんなに親が好きなんでしょうか?
親に恩返しをしたいんでしょうか?親に長生きして欲しいんでしょうか?私にはまったく理解できないんです。
「子供の頃にされたように親に恩を返す」という言葉を聞きますが、それならば自分は親に愛されていなかったんだろうか?と考えてしまいます。
自分は冷たい人間なのか、自分の考えはおかしいのか、と悩んでいます。
「自分が死んでも親は悲しまない」と思っている人は他にはいないのでしょうか?それはいけない事なのでしょうか?
大概人に話すとドン引きされてしまうので、軽々しく相談できるところが無くて困っています。
お坊さま、是非おたすけをお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
せっかくですから
拝読させて頂きました。
全ての親が悲しむかというとそうではない方もいると思いますよ。もしかしたら親ではなくて親しい方々やパートナーやお子さんが悲しむかもしれませんし、或いはもしかしたら自分自身が死の間際になってやっぱりもう一度だけでもあの人に一目だけでも会いたかったと思ったり、或いはもう一度あの場所に行きたい、ほんの一瞬でもこの体に留まりたい、それができずに悲しむかもしれません。
またそうではなくて与えられその天寿を全うして何の憂いもなく悲しみもなく亡くなっていくこともあるのかもしれません。
ですから人それぞれでいいかと思います。
とはいえ人の心の奥底は計り知れないですからね。ほんの少しでも心残りや悲しみや寂しさという気持ちはふと自分のはるか想像を超えて湧き上がってくることもありますからね。
本当に自分の心こそなかなかわからないものですし捉えどころないものです。ましてや人の心の奥底などはわからないと言った方が間違いありませんよね。
人の1日の中での思いは刹那刹那で常に移り変わります、一説には1日の中で8億4千の念ありと言われます。
わずか1日で8億4千の思いがあるんですよ。とてもとてもとらえようがないのです。
ですから人の心はこうであるとか、こうでなきゃいけないという風に決めつけなくてもいいかと思います。
人が発した一言でも実は様々な思いが背景があり交錯する感情があり、エゴもあり良心もありますからね。
せっかくですからどうぞご自分のお心もじっくりと見つめなおしてみてくださいね。
そういう親もいる
残念ながら、あなたの親のように、「子育てが下手くそ」な人もいるのです。
悪気はなかったのかもしれませんが、現代の子育て方法から見ると、上手な育て方ではなかったのです。
子供の自己肯定感を育ててあげるためには、親や周囲の大人の役割は大きいですからね。
最近は、「愛着障害」という言葉もあるようです。
一度調べてみてください。
親を恨むのでもなく、自分を卑下するのでもなく、ちょっとしたボタンの掛け違いで今の状況になってしまっただけだと、冷静に受け入れましょう。
自分を客観的に見て、過去を闇雲に嘆くのはやめ、知性と意志で未来を変えていきましょう。
質問者からのお礼
お坊さまありがとうございます。
いろいろな考えがあってもいいと教えられ、気持ちが軽くなりました。