名前も顔も知らない人に回向供養がしたい。
今、目の前の店舗内で人が倒れて、
10人ほど救急隊の方が処置と搬送の
業務に当たっておられました。
ポンプ車も来ていました。
やがて、救急車は10メーター程
けたたましくサイレンを鳴らして
走っていたのですが、突然、赤色灯だけ
つけたまま、端に寄って停車、
ヘルメットを脱いだ救急隊員さんが
運転席から飛び降り、助手席の隊員さんに
何か声をかけて、また車に乗りました。
一緒に来ていたポンプ車も静かに
走り去っていきました。
しばらくすると、パトカーが来ました。
救急車はずっと留まっていました。
救急車のサイレンが突然止まった時は、
患者様がご臨終の時。と、聞きます。
まして、警察車両もいたので…
まさにその通りかと思います。
私は当時、駅にいました。
人が多かったので、堂々と拝むことも
できませんでした。
シャープペンシルで空中に、救急車を
めがけてキリーク梵字を書き、囁き声で
お十念を称えましたが、届いたかどうか
不安でなりません。
いま、様々な感情が私の体を駆け巡って
います。お悔やみもそうですし、
業務に当たっていた隊員の皆さんは
もどかしかっただろうとか、悲しかった
だろうとか…。
顔も名前も知らない相手です。
どうすればいいですか。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そうでしたか。びっくりしましたね。
「救急車のサイレンが止まっている時は患者が亡くなったとき」というのは確かによく聞きますが、今少しネットを当たって調べてみた所、そのような事は出てこないです。それに、よく考えるとニュースなどで、「心肺停止状態で運ばれ、病院で死亡が確認されました」などという言葉を聞きます。臨終はお医者さんしか判断できないはずですので、救急車の搬送中に臨終が確認される、というのはありえないと思います。(現場で死亡が確認された場合は救急車には乗れない)
多分帰りにサイレンを鳴らさずに走行したのは、患者さんの状態に緊急性がなかったと判断したのではないか、と想像します。ご覧になった場面は途中で「緊急性はないから、鳴らさないで走って」などのやりとりがあったのでは?
だから大丈夫ですよ。
質問者からのお礼
【光禪 先生】
ご回答ありがとうございます。
なんだ、ただの噂だったのか…。