2025/03/15祖母の供養と生の終わりに向けて
こんにちは。先日父方の祖母が亡くなったことに関わって、質問をさせていただきたいと思います。
祖母は晩年の10年ほどを施設で過ごしていましたが、環境の変化や、コロナ禍で面会が極端に制限されたことなどから、最期はほぼ寝たきりとなり、認知症が進んで言葉を交わすこともできなくなっていました。
ただ、歩けない・話せないといったことは、祖母がゆっくり時間をかけて生まれた頃の姿へ還っていくさまを見せられているようでもあり、最期まで一生懸命生きるということを教えられたようにも思っています。
祖母は昔かたぎというような人でもあり、元気だった頃には嫁姑関係の諍いが原因で、私の母親などは随分辛い思いをしたようです。そうした祖母に反発を覚えたこともありました。
しかし孫の私に対する祖母の接し方はとても優しいもので、可愛がってもらった思い出が多いのも確かです。それと同時に、「もっと話がしたかった。」「もっと一緒に出かけたり、食事に行ったりしたかった。」「身体の自由がきかなくなっていくことを、祖母自身はどう感じていたのか。もっとしてあげられることはなかったのか。」といった反省や後悔も続々と生まれました。祖母は殆ど家から外に出ない人でもありました。
誰しもが考えることかもしれませんが、亡くなった人に対して、生前に自分ができなかったことの反省や後悔がない人は少ないのではないかと思います。私は、その反省や後悔の上に立って、今生きている人たちに対して同じ思いは持つまいとしているのですが、それでも将来的にそれがゼロになるとは思えません。
また、お葬式の後、祖母のお骨を骨壺に収め、初七日法要を勤めるまでの場に立ち会いましたが、滞りなくお骨上げができる形で最期を迎えられる人は、この世の中に何人いるのだろうとも思いました。
祖母は祖母なりに、懸命に自分の人生を生きていたと思うのですが、自分も同じように最期を迎えられるだろうかと思うと、迂遠な道のりに気が遠くなります。
生前は感謝とともに葛藤も抱いていた祖母を、これからどう供養してあげたらよいだろう。翻って自分自身が最期を迎える時、これまで出会った人たちに対する反省や後悔にどう向き合えばよいのだろう。いずれ迎える生の終わりに、どう心構えをするべきか。…まとまりなく申し訳ありませんが、こうしたことにアドバイスがいただければ有難く存じます。

有り難し 6

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