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中期中絶への迷い

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有り難し有り難し 34

待望の2人目を授かりましたが、妊婦健診で赤ちゃんの異常を指摘されました。
居ても立っても居られず、専門病院を受診したところ、ダウン症の確率が高く、状態から見てもほぼ確定でした。

確定診断の結果が近々出ます。出生前診断については私も迷いましたが、ハッキリとした心疾患があるため、医師に原因の特定のためにと勧められ、受けました。
しかし、結果として、やはり私にとって確定診断は「命の選別」になりました。結果によっては中期中絶を考えています。

悩みの原因は、まだ幼い娘が1人いることにあります。
もしも程度の重いダウン症の赤ちゃんが産まれたら、重い内臓疾患の赤ちゃんが産まれたら…娘はどうなるのか。娘が傷つき、苦しむのではないか。幼いうちはよくても、大きくなるにつれて、嫌な思いをすることも増えるのではないか。私たち親の死後はどうなるのか。全て娘に背負わせてしまうのではないか…。
また、私自身、娘の世話をしながらダウン症の子を育てられる自信がありません。

しかし授かった命。見殺しにして良いのか。生きているのに。今は元気に、たくさん動いているのに。
葛藤しています。赤ちゃんへの愛しさは募るばかりです。でも、将来のこと、娘のことを思えば「愛しい」という感情だけで決めることはできないと思い、毎日泣くことしかできません。
しかし、命の選別をしようとしている私に泣く権利はあるのか。お腹の子を愛しいと感じる権利はあるのか。
中期中絶を考え始めてから、お腹を撫でることも怖くなってしまいました。

勝手な都合で中期中絶された赤ちゃんは、どこへ行くのでしょうか。恨みや憎しみにとらわれることなく、温かくて優しいところへいけるために、私たち夫婦にできることはあるのでしょうか。
中期中絶を決断することになれば、どう償えばいいのでしょうか。どうすれば赤ちゃんに詫びることができるのでしょうか。
自分の親から命を奪われる赤ちゃんに、どう向き合えばいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

権利はあなたがたにしか、ない

失礼します。

泣く権利、愛おしいと思う権利はあります。
むしろそれらの権利はあなた方にしかないです。
外野からなんと言われようと、その権利はあなた方のものです。

「命の選別」については、昨今議論の的になっていますが、当事者でなければきめられないです。
当事者以外の言うあーだこーだは無視してください。
そして、もうひとつ、幼いお子さんがどうなるか...それは、将来その子自身が決めることです。
自信がないのは分かりますが、そもそもお一人目の時も子育てに自信なんかなかったと思います。
それに20年30年先の医療は今のそれとは段違いのものになっているかもしれないですし、
今は考えない。

初めて息を吸って吐いた瞬間にニンゲンはニンゲンになってしまいます。
それまでは恨み妬み憎しみ苦しみとは無縁の、いわば仏様です。
もし決断をしたとしても、仏が仏のまま仏となっていくのです。
仏があなた方を恨むことはない。
そしてあなた方に出来ることは、その仏を一心に供養することです。
罪悪感や強迫観念に打ち勝つくらいに供養することです。

一般的に見れば、僧侶なのだから「命を大事にしなさい」などと言うべきなのかもしれません。
人権だなんだと言わなければならないんでしょうけれども。
私からみればそういった論議を超えている話だと思います。
そんな一般論で対応できるわけないんです。
当事者でなければその心身の痛みはわからないです。
だから、泣いていいのは、愛していいのはあなた達だけなんです。
決めていいのは、当事者であるあなた達だけなんです。

最終的に結果が出てもなお、不安や迷いは尽きないことと存じますが、
どのような判断をなさったとしても、私は仏はあなた方を肯定します。

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黙庵(もくあん)
紆余曲折の果てに出家しました。 現在は7年ほどの修行期間を経て 京都府...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありません。
その節はご丁寧なご回答をいただき、誠にありがとうございました。
私たち夫婦は、我が子との別れを選びました。人生で最も苦しく、逃げ出したくなるほどに辛い時間でした。
黙庵様の「仏を一心に供養すること」とのお言葉を私なりに解釈し、毎日を過ごしております。
私たち夫婦は、亡くした子を、心から愛しています。それは一生変わりません。
「肯定する」と言っていただけ、本当に救われました。ありがとうございました。

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