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死ぬ事、現実

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有り難し有り難し 14

3度目のご相談になります。よろしくお願いします。 母が癌になり3度手術をのりきり、今また再発してしまいました。手術不可能といわれました。抗がん剤のみの治療だそうです。複雑です。抗がん剤をやらなければ死は近いもののような気がします。抗がん剤をやれば癌はちいさくなるかもしれない、ならないかもしれない、けど、副作用が必ず蓄積されます。母は抗がん剤をうけることを選びました。私も母の思うように…とおもっています。けど、死の宣告をしたかのような先生の言い方で、私は現実をうけいれることができません。死とはなんですか?現実を受け入れる方法もしりたいです。妹は重度の障害があります。母がいなくなったらたとえ妹の命でも私がうばって死ぬこともかんがえてしまいます。つらくてつらくて、主人は脳卒中をやってから私がならんだり、ないたりすると変な顔といって笑います。この人はなんで生きてるんだろうっておもってしまいます。息子とも連絡がほぼとれなく娘には結婚してその生活があります。側で支えがほしくても誰もいません。つらいです。くるしいです。

2019年6月5日 17:05

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒に考え、一緒に生きていきましょう。 あなたのそばに。

そうですか。。。本当に、生きるというのは、苦しいことばかりのように思いますよね。
病も死も、いつかは向き合い 訪れるのだと、頭ではわかっていながらも、現実を目の前にすると、なぜ?私だけが?この先どうなるの?と、不安で恐怖で 堪らないだろうと思います。

痛みに耐えながら治療を選んだお母さまを、支えたいと思いながらも。こちらも、いつだって笑顔で向き合えるわけじゃないものね。お母さんの辛さを思うと、同じように苦しくなるでしょう。
また、あなた自身、頼る家族も、いろんなことを抱えていたら 全力で向き合える状況じゃない。

今、お母さんのことや、妹さんのこと、ご家庭のこと、あなた一人が受け止めながら背負ってらっしゃる。これでは、不安で苦しくて、今にも倒れそうになりますよね。

仏教では、仏様のお救いがありますから「死」にゆく命ではなく、お浄土へと願われる命なのです。私もそう仏様を信じ たより、お念仏をしていますよ。南無阿弥陀仏と。

大切な方々の死を、また今の命や、この現実を、救おうと願い はたらいてくださる仏様にたよりながら。
治療にも、緩和ケアがあります。
最後の最期まで、生き抜ける環境を。
そして、そんな不安を一人で抱える あなたを、私も支えていますよ。

苦しい時、いっぱい いっぱいな時、いつでも そのお気持ちを吐き出してくださいね。
一緒に考え、一緒に生きていきましょう。
あなたのそばに。

お母さんや、家族のために、
いつも ありがとう。

2019年6月6日 13:06
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 住職として、中学生の息子の母親...

質問者からのお礼

お返事、ありがとうございます。
1日、1日を生きればいいんだ、とおもいながらも怖くて怖くてたまりません。一難去らずにまた一難。現実を見たくなくても現実以外なにもなく。
こんな私に貴重なお時間お返事、ありがとうございます。

「死について」問答一覧

日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

有り難し有り難し 9
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