プライドが高くて、人からよく思われたい
こんにちは、いつもご回答参考にさせて頂いております。
私はタイトルにもある通り、プライドがかなり高く負けず嫌いで、人から否定されたり変に思われたり、できない奴だとか思われるのが怖くて、いつも人の視線や顔色を伺ってしまいます。また、少しでも強い口調で言われたりすると責められてると感じてしまいビクビクしてしまいます。
プライドも高く、失敗をなかなか認められなかったり、恥をかくのが嫌で足がすくんでしまうこともよくあります。
上記のことがいつも頭の中の半分以上を占めていて、集中力や注意力が散漫になってしまい、今やってること、やらなければいけないこと、また、仕事に集中出来なくてミスを連発してしまい、とても悪循環で、こんな自分のことがほとほと嫌になります。
そんな自分を変えたくて、人となるべく関わる仕事にしようとおもって選んだ仕事なのに、ちっとも変われない自分がいます。
人にどう思われるか、人からの評価を気にしないで、自分を守るためだけの無駄なプライドを捨てて、もっと人のために生きるにはどうしたらいいか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「自分」は概念にすぎない
人間は、色・受・想・行・識という5つの現象、五蘊(ごうん)から成立しています。詳細は省略しますが、「私」「自分」という固定的な存在はないのです。
「私」とはただの概念であり、実体が無い、無我なのです。
阪神タイガースというチームがありますが、今のタイガースと20年前のタイガースは、構成している選手が違います。
つまり、チームの名前だけ同じだけど、実際は別人なのです。
「自分」も、瞬間瞬間ごとに新しい五蘊、別の存在であって、ただ名前と記憶を受け継いでいるだけです。
なので、初めから実体がない、概念・観念上の夢・幻みたいな「自分」を守ろうとするプライドは、意味がない、苦しみを増やすだけのものです。
まあ、それに心底納得できれば、4段階の悟りのうちの第一段階なのですから、簡単に納得できる(悟れる)ものではありませんが、基礎知識として、「自分という存在は概念にすぎない」と理解することから初めていただければ幸いです。
姿形は昨日と似ているけど、実は昨日の私と今日の私は別人。ただし、周囲の人はそれに気付いていない。
昨日の自分がかいた恥も、今日の自分から見たら別人のかいた恥。
ただ、記憶と名前を相続しているだけで、中身は瞬間瞬間ごとに新しい「私」。
だから、平気へっちゃらです。