精一杯
お仕事でお忙しい中 私達のお返事を丁寧にしていただき ありがとうございます。
沢山の悩みがあり大変なのに また 相談して申し訳ありません。
私は 今の悩みを誰にも相談できずにおります。誰がに話せたら 少しは楽になるのでしょう。(公的機関には 相談してますが なかなか)
これでもかと 災難がやってきます。
娘が怪我をし 完治は手術と言われました。無論 私の一馬力では そんなお金は あるわけもなく 現状維持で注射で痛みを抑える事になりました。
子供が健康でいる事だけが喜びでした。死んでしまったわけではないので 喜ばないといけないのでしょうが 今の私には 何で子供にまで としか思えないのです。
主人の仕事も健康も失って、車も手放さないといけなく 田舎に住む為 仕事も子供の病院に行くのも困るようになります。
私の体調も思わしくなく でも 私が辞めたら収入が無くなる為 頑張って行ってるのですが 気持ちも身体も精一杯です。
何故 悪い事ばかり起こるのか 悪い事をしても裕福に幸せに暮らしてる人はいます。私は それ以上に酷いことをしたのでしょうか。
もう 気持ちがつづきません。出口は あるよう思えません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
既に精一杯ならば求める一杯の大きさを小さくすることも
これまでのご相談も拝読しました。
これまでのご相談をおさらいすると、残念ながら経済的なコトを仏教の力でどうにかできるわけではありません。
また、仏様とは善行をしている人にご褒美を与え、悪行をする人をこらしめるような存在ではありません。そして供養とは仏法に出遇うためのものであり、人生を好転させたり悪運を払うものではありません。
そうすると、あなたがお望みのものはここではどうにもならないようにお感じかもしれません。
でも仏法を聞いていくと自分の思いの中に閉じこもっていた自分が破られていくのです。すると、状況が好転するしないにかかわらず、確かに救いというものが開けてくるのです。
しかしながら今の状況、つまりは生活は大変な問題だと思います。お子様の学業については各種奨学金や希望する進路の断念も必要なのかもしれません。
日々の生活についてはなかなか難しいようですがやはり公的扶助。そしてご主人の奮起でしょうか。もう仕事を選ばずどんな仕事でもやるぞ!という奮起を期待したいところ。あるいはご主人のお子様に頭を下げて援助をお願いするとか…。
いずれにしても「こうあるべき」「こうでなければならない」と考えていたものをあきらめる必用も出てくることは覚悟しましょう。
他人の釜戸は明るく見えるかもしれませんが、それはその人になってみないとわかりません。皆あなたのように内心には色々抱えているものです。
仏教は道理を説きます。それは縁起の法といい、簡単に言えば物事には原因があるという事です。
仏様とはその法則に目覚めた人のことであり、法則をコントロールしてくれる人ではありません。
生活が今のようになっているという結果にはそうなった原因があります。あなたの心が苦しいのなら苦しくなるような原因があります。
私たちはそれらを自分の外にばかり求めがちですが、外はどうあれ、その外の問題を捉え考えているのは自分自身だということは忘れてはなりません。
あなたはきっとお一人で抱えながら限界ギリギリまで頑張っていらっしゃるのだと思います。
しかしどうでしょう。ちょっと力を抜いて、まずはご主人やお子様と正直に語り合ってみては。何が出来て何が出来ないか。これからどうするか。
一人で苦しいと言うだけでなく、「苦しいよね」「そうだよね」と言える相手がいることはけして小さなことではないはずです。
質問者からのお礼
回答 ありがとうございます。
仏教で生活が改善されるとは 私も思ってはいないのですが 心のよりどころが無くなり 誰かに聞いて欲しかったのだと思います。
常に気を張り 生活をしていたので張り詰めていました。
ありがとうございました