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「がんばって」ということば

回答数回答 7
有り難し有り難し 40

私は、「がんばって」と言われるとうれいし、がんばろうと思います。
しかし、人によってはそう言われる時点ですごくがんばっていて、そう言われるとよけいに負担に感じてしまう人もいるのではないかと思います。
相手の人を応援したい気持ちがあっても、「がんばって」以外のことばが見つからず、何も言えないことがあります。
そういう時、どんなことばをかけたらよいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手を真に良からしめる光透波(ことば)愛語

for youよりもwith you。
私がそばについているよ、という寄り添う形でお伝えなさってはいかがでしょうか。
愛語というは相手がどんな立場な人であれ直観的に相手の利益・プラス・為になるであろう言葉や智恵を惜しげなくお伝えすることです。ここでいう利益とは精神的なプラスのことです。
言うのはその時しかありません。その直後不慮の事故が待っているかもしれません。
とにかく相手のためを思って言ってあげることです。
相手がそれによって結果的によくなっていくように言葉や肩ポンポンなどして、相手を勇気づける、力づけるように作用させること。怒ってはダメ。
でも単にやさしい言葉ばかりではないと思います。
もちろん、相手が聴いてくれない、受け止めてくれない場合もありましょう。
相手に気休めのコトバでいえば、自分に嘘をつくことになる。
「誤解しないでね、あなたのことを想って言うんだけれど…」
相手にそれが、愛、慈悲という形で伝わるように言えば、それは厳しい言葉であっても愛です。
「きっとよくなるよ」「今までも大丈夫だったんだからきっとうまくいくよ」「あなたなら大丈夫」「まあ気楽に行こうよ」「応援してるよ」「私がついてるよ」「ダメでも私が拾ってあげるよ(笑)」「転ぶにしても上手に転べばいいんだよ(笑)」
最後にあなたへ。
「次に上手に言えるように、今一緒にみんなで練習しておこうよ(^o^)」

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おきもち

祈ってます。

「良い結果が出るように祈っています。」はいかがでしょうか。

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おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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考えること

はいじさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

「精神的に追いつめられている方に『がんばって』は禁句」ということが一般に広まったのは、悩み苦しんでいる人をさらに追いつめずに済み、とても良いことだと思います。
ただ私自身も「がんばって」と言うことに躊躇してしまうクセがつき、少し困っています。

おそらくケース・バイ・ケースでしょう。意気揚々とこれから試合に臨む選手など、がんばることに前向きな方、またがんばれる余力のある方への「がんばって」はOKだと思います。

反対に、もう精一杯やっている、これ以上がんばる余力が無さそうな方への「がんばって」は、相手を追いつめることになりかねません。

私は、「がんばって」を言うことに躊躇するようになってから、その時その時、どんな言葉をかけたら良いのか考えるようになりました。
はいじさんも考えていらっしゃるようにお見受けします。その上で、「がんばって」以外の言葉が見つからないのであれば、その時は「がんばって」が最適な言葉なのではないでしょうか。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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言葉は人それぞれ

10人いれば10人の意見。100人いれば100人の意見。人それぞれです。
確かに、被災地での頑張っては私自身も重く、いやな言葉でした。一緒にやりましょう。「何一言ってんだ、お、おまえには返る場所あるだろう。とも思いました。しかしながらそのとらえ方は人それぞれ。一緒に頑張りましょう といわれて 救われた方もいらっしゃいます。お釈迦様も180度違うことをお話しされてます。それは、その人一人一人の状況をにて話されてるからです。

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おきもち

3月11日の突然起こった東日本大震災。私の住む茨城県水戸市も大きな被害を受...
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はいじ様。

仰る様に安易に「頑張って…」は避けるべき言葉かと存じます。
種々の心のケア関係に関わったものの経験から申し上げれば、
「自分のペースで無理せずに、やわやわと…で、良い結果が出る様に願っていますよ」と申して居ります。
一寸長いフレーズですが…

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おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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Good luck!

はいじさん、はじめまして。
回答が出尽くした感がありますが、皆さんの言われるように
「がんばって」は誰に対しても使える言葉ではないですね。(^^;;
私もその人の状況を鑑みて使い分けています。

さて、応援する言葉として、他に何か良い言葉はないかな?
と考えを巡らせてたら・・・英語にヒントがありました。

そう、「Good luck!」

日本語にすれば、「上手く行くと良いね!」でしょうか。

これなら、誰に対しても使えるのではないでしょうか。
(ニュアンスとしては、水上さんの「祈ってます。」に近いですね。)

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おきもち

「がんばって」にプラスする

はいじ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

密富様と同様に拙生も社会福祉法人の理事長として心の病の方たちと向き合った経験からも、安易に「頑張って」と言うことはできるだけ避けるべきではないかとは考えております。

この「頑張って」・・調べてみますと「頑張る」の語源は、有力なものとして二通りあり、一つが「眼張る」、もう一つが「我に張る」のようでございます。

「眼張る」は、目をつける、目を張ってよく見ることから、一定の場所・モノ・コトから目を離さずに、動かないこと、動じずに取り組むこと等。

「我に張る」は、我を通すこと、一定の場所・モノ・コトに留まって少しも動かないこと等。

上記の二つを鑑みますと、現在のように「努力すること」として用いられるのは、「動じずに取り組み続けること」から派生したものではないかと思われます。

お釈迦様も長い成道の修行の末、いよいよ菩提樹下に坐して、悟りを開くまではこの場を決して動かない(不動)として数々の魔物たち(煩悩たち)の攻撃にも動じずに禅定に取り組まれて、やがてお悟りを開かれました次第でございます。

確かに一つの物事を成し遂げるためには、「動じずに取り組み続けること」が大切となります。中途半端にあっちもこっちもとフラフラしていては、身につかない、ためにならない、信用を得れないということがございます。

しかし、これも浦上様のおっしゃられるように「ケース・バイ・ケース」となりますでしょう。

それこそ、あまりに「我を張って」、こだわって、とらわれて、かたよってと執着しすぎていては、弊害が生じることも多々でございます。

また、個々人それぞれの能力にて頑張りたくても、頑張れないことも多くございます。本当にその人のことを思って応援したい、協力したい、助けたいとするならば、ただ無責任にも「頑張れ、頑張れ」と言うだけではなくて、このようにすれば良いのではないか、こうしたらどうかと親身な具体的アドバイスを添えることや実際の目に見える行動(お手伝い・ボランティア・奉仕・労力提供、寄付など)にて示すことも必要かと存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「頑張れない・頑張って報われるか」問答一覧

努力しても報われず、人生がむなしいです

高校生の頃統合失調症を発症し、以来人生が閉ざされてしまったと感じながら生きています。 勉強が手につかなくなり、同級生が皆大学に進学していく中、ひとり専門学校に行き、卒業後技術者として働いてきました。 病気のことを言い訳にしたくなくて、障害をクローズにして一生懸命働いてきましたがうまくいかず、職を転々としてきました。 技術者としての自分に限界を感じ、現在は福祉職に転職。1年以上経っています。 僕は感受性が強いらしく、ネガティブな感情をいつまでも引きずってしまい、精神疾患の影響もあってか心身ともに疲れやすく、しばしば仕事を休んでしまいます。この状態がもう15年以上続いています。 職を転々としてきたことと、上記体調のこともあってか、一向に給料が上がらず、自分ひとりの生活を支えることすらままならない状態です。 努力してもこの先この状況がよくなるとは思えず、途方に暮れています。 どんなに努力しても、一生懸命やっても報われず、自分の人生に希望が持てません。普通に恋愛し、結婚し、家庭を持つのが夢でしたし、それが無理でもせめて車を買って維持できるような経済力になりたいと思いいままで生きてきましたが、もうそれもあきらめました。 自分の人生は変わってしまったと感じるけれど、病気のせいにしても仕方がない。精一杯生きて、一生懸命やって、これでよかったんだと思える人生に自分の力でしていくんだ、と思いこれまでやってきましたが、もう疲れました。毎日がむなしいです。 大した楽しみもなく、感動もなく、淡々と過ごす日々が続いています。 悲しくてももはや涙が出てきません。何もかも投げ出して、生きることに対して匙を投げてしまえたらどんなに楽か、と考えることもあります。 なぜ僕の人生はこんなにもむなしいのでしょう? 希望が持てないのは、自分の心や気の持ち方のせいなのでしょうか? いまの僕に足りないもの、変えていくべきものがあるとすれば、それは何でしょうか?

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頑張りたいのに体がついて来ずもどかしい

初めまして。以前からこちらのサイトを閲覧し元気を貰っておりました。 私は現在就活中で20歳になったばかりです。学業も、趣味も自分なりに一生懸命に頑張っています。 ですが、4月頃から絵描きの友人の発言などに劣等感を覚えることが増え、距離を置いていました。それでもいつも通り接していたのですが、忙しく余裕も消え、心のモヤモヤは晴れませんでした。変わったのは友人ではなく私の方というのもわかっていました。 この辺りから、違和感があったのを覚えています。 私は専門学生でイラストを描いたりデザインをするのですが、どうも他人と比較する癖が抜けずにいます。その癖はわたしを今までかなり成長させてくれたものですし、実際に他の人に成長したねと褒めてもらえることも増えました。嫉妬が原動力になっていて、その自覚もあります。 もうひとつ私の原動力であるものは尊敬できる人物(講師)の存在でした。昨年、ある1人の女性に出会い、その方が仕事に打ち込む姿に心打たれました。どうにか目をかけて欲しくていつも以上に張り切って作品を作ったり、指摘されたらそれよりももっといいものを作って見せに行くというのを繰り返していて、褒めてもらえることも増えて認められたと嬉しくなったのを覚えています。 前置きが長くなってしまいましたが、問題はここからで、今となっては認められることに必死な自分が苦しいです。 必死に目標としてきた人物がいて、周りの人に刺激されて切磋琢磨できていたものがプツンと切れてしまいました。 今ここにいるのはただ疲れきっていて、必死に課題をこなしたり、尊敬する人に食らいつきながらも、もうそんなのは全部投げ捨てたいと裏腹の気持ちを持った自分だけでした。 今までバーンアウト(燃え尽き症候群)になっても休む時間はありましたが、今は課題、就活、個人依頼などで休みがありません。 やらなきゃいけないことが沢山あるのに、成長せずにとどまっている自分にもすごく腹が立つし、何よりそういう前向きな気持ちや向上心に全く体がついてこないのがしんどいです。今にでも次のことをしたいのにどうして体は上手くついてこないんでしょうか。 休んだ方がいいことはわかっています。ですが、自分を納得させる言い訳が上手く思いつきません。 お力添えをお願い致します。

有り難し有り難し 8
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頑張りたい

ここのところ頻繁にお世話になり、申し訳ありません。 こちらでたくさんの智慧を頂き、お陰様で、死にたいという気持ちから、何とか生きたい、頑張りたいという気持ちになりました。 ありがとうございます。 暴言ばかりの息子も最近は暴言も減り、少しずつではありますが、関係も改善しつつあります。 ところが、頑張りたいという気持ちはあるのですが、私の注意力不足等で仕事ではあり得ないようなミスが続き、本当に私が悪いのは重々承知なのですが、仕事上のことだけでなく、私の性格も含めて、かなり辛辣な言葉で叱責されて日々怯えています。 今までの職場ではこのようなことはありませんでした。 自分ではちゃんとしたいのです。 頑張りたいのです。 どうしてちゃんと出来ないのだろう、うっかりするんだろう、集中力がないんだろう、ミスをしてしまうのだろう...と自分を責め続けてしまいます。 自分を変える為に色々と勉強も始めましたが、言われた言葉が頭の中でリフレインしてしまいます。 今までの質問にも書かせて頂きましたが、やはり私は生きる価値のない役立たずなのではないかと自問する気持ちと、今までの自分の考え方を変えて、頑張りたい、精一杯生きたいという気持ちが交錯しています。 こんな私にどうか喝を入れて頂ければと思います。

有り難し有り難し 6
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頑張るのに疲れました

いつまで頑張ればいいんでしょうか。 何かを成し遂げれば、すぐに次が来て頑張ることの繰り返し。 また何かし終えても、一息つく間もなく、兜の緒を締めよ、人生は短い、今やらないともったいない、さらに力をつけませんか?とうわべだけの言葉で急かされ、また頑張って、頑張るために休憩して、また頑張る。 もう疲れてしまいました。 何もかもやめたくても、優秀な弟がいて、やめられません。 私が被った無駄を反面教師に、弟は要領よく歩いていきます。私の失敗を糧に、本当に行きたい大学を選んだり、良い物件を与えられたり、コロナの影響もなく友達と遊び、自由に学生生活を楽しんだりと、十分な教育環境も時間も活用して生きています。 せめて、無駄が多い分頑張らないといけないのに、私はなにをしているのでしょう。今だって、そのうち弟が全力で努力している時間になる。なのに私は無駄ばかり、今からやっても、弟には負けてしまう、それで一生苦しむのが目に見えています。 オンラインが続き、視力も精神力もかなり低下してしまいました。もう、勝てる部分は無くなりました。 こんな劣等の自分が大人になるのが恐ろしいです。たとえうまく社会に潜り込めたとしても、時間も若さも、見た目の自由も奪われる。 そして老いていって、現状を割り切り、これで満足だと言いながら死んでいくであろう自分が化け物に見えます。 お聞きしたいです。 いつまで頑張ればいいのでしょうか。 弟に嫉妬しない為にはどうすればいいのでしょうか。 自由を奪われて辛い気持ちには、どう対処すればいいのですか。

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働くこと、やりたいことに誠実になるには

これまで、ずっとレールに乗ったように選んできた人生です。 小説家、は夢としても出版とか文章にかかわるお仕事に興味を持ってきましたが、 20数年前、親は将来性のない文学部に行かせる学費はないといわれ、受験勉強の時は、死ぬ気になってやらなければ将来つぶしの効く仕事に就けない、と好きだった書籍を処分されてしまい、この先大学入るまでトンネルで、なんだかまた抜けた先にもトンネルが待っていそうと、活力を失っていきました。 せっかく法学部なんだから司法試験を目指しなさいと言われた時はそれでも抗弁しました。 何故やりたくもないことでリスク取って弁護士の就職先を見つけるのが困難な時代にそんなことをいうのと。 発達障害もあり就職に失敗し、それでも数年間のニートみたいな公務員浪人を支えてくれた両親には感謝しています。 しかし、公務員歴17年、私の障害にとっては最も適性に遠い所にあるらしく普通にできることが数えるほどしかない中、パワハラもあり、よくしてくれる人にも愛想をつかされたりです。 それでも今は少しずつクレーム対応とか人の嫌がるところに活路を見出して、あれほど嫌っていた法学部で学んだ法律の知識で、「君は他の人と違ってまだ諦めてない、ってところがあるからこうして助けてあげるんだよ」などといううれしい言葉を頂いたりもしました。 しかし、それでもなんだか8時半から20時過ぎまでパートタイムで懲役刑と苦役労働をさせられている気分が抜けません。 官公庁もどこか全体主義に通じる正常と異常を隔てる不健全な空気があって仕事自体社会にいいのか逡巡してもいて動機が定まりません。 それでも、人のために奉仕したいという思いは芽生え、まして給料を頂いているのだからと前向きに取り組めるようにはなってきました。勤務時間がやりたいことへの時間とトレードオフなのは苦しいです。 しかし、やりたい事への努力が実が入らないことを責めてしまいます。 コロナ前に通信制大学で文芸創作のコースに入りましたが、好きな事に思い切り集中できてません。 もしかしたら思い切りやらないことで無意識的にじぶんで言い訳の材料を作っているのか、親からのかつての趣味への没入に対しての叱責が罪悪感なのか。 友人もなくワイドショーばかり見ている同居の父の意識はいまだに緊急事態かのようで頼むから外出控えてくれとカフェや図書館にも行けず友達も減りました。

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生きる目的が分からないので頑張れない

21歳の大学生です。 約一年前からパニック障害となり、半年ほどは自力でなんとか闘病していました。発作の恐怖で友達にも会えず、外出もほとんどできませんでしたが5月ごろには徐々に外に出られるようになりました。 しかし9月ごろにかなり悪化し、心身ともに限界を感じ、もう死んでしまいたいというところまできたので、ここ2ヶ月ほど前から病院に通い始めました。そこから大学にも通えなくなりました。 身体的には少しずつ改善しているのですが、漠然した不安感に時々襲われ、気が狂い出して死んでしまうのではないかと感じとても怖くなります。以前は、またこれを乗り越えれば良くなる時がくる、普通の生活に戻れるという意思を持って望んでいましたが、ここ何ヶ月か外出したい、友達と普通に会話して楽しみたいといった気持ちが生まれてもパニックの症状で気持ちを何度も折られ、もはや生活に無気力になりました。 本を読んだり、散歩したりとできることをしているのですが、ここ最近は何に対しても無気力で生きる意味を感じられません。日中も寝る時も不安になり、何を希望に生きたらいいのでしょうか、、死んだからと言って解決するとは思いませんが、死ぬことばかり頭によぎります。 家族には治るから大丈夫と言ってもらえますが、私にとっては今この瞬間をどうやって生きればいいのかわからない、治るまで頑張れるのだろうかと思います。もしよければ回答お願いいたします。

有り難し有り難し 23
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ