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水子は純真無垢な存在でしょうか?

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お坊さんが考える、水子に対しての考え方をお聞きしたいです。

私には、どうしても産んであげられなかった子がいます。ずっと後悔しながら、生きています。

水子供養は欠かさずに参ってますが、どうしても罪悪感や、他の兄弟は産んだのに、どうして自分だけ産んでくれなかったんだ、など、恨んでないかと考えてしまいます…。

以前質問させていただいた時に、水子は一切の負の感情を持ち合わせていないと、回答を頂きました。

水子は、うらやましい、ずるい、なんで自分だけ…と考えたりはしないと思って良いのでしょうか?

自分を罰する気持ちが強く、そう都合よく考えるのは、いけないことだと思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出会い直す

ご相談拝読しました。

ずっとこのことを抱えて頑張ってきましたね。ずっと考えておられますね。

お坊さんから何度水子が恨むようなことはないと説かれても、恨むのではないかと考えてしまう…

それはなぜでしょうか?

答えは簡単です。

確かめようがないからです。本人がどうなっているのかを。なのでどうとでも言えてしまうし、どうとでも考えられてしまう。

すると人はどう考えるか。自分と同じように考えるのです。自分が何かされたら恨むような存在だから故人もそうなのではないか?と考えてしまう。

でも、はたしてそうなのでしょうか?仏教ではどのように受け止められてきたのでしょうか。

葬式仏教が揶揄されたりもしますが葬儀は本来仏教でも大事な儀式だと私は思います。それは亡き人との出会い直しをいただく儀式だからです。

亡き人について生前と同じような存在として出会い続けていくのでなく、儀式を経て仏様としての亡き人と出会い直すのです。

厳密に言えば亡き人本人がどうなったのか、仏様になったのかは確かめようがありません。でも亡き人がその命の終わりを通して大事な事を私たちに伝えてくれたのは確かです。

そこで「亡き人本人」というよりは「私たちにとっての亡き人」を諸仏-仏様の一人として見出していくのが出会い直しです。

そうでないと、結局わからないものを「自分の思い」でしか判断できません。あなたが恨まれるように感じてしまうのは結局自分の想像にすぎません。

あなたの後悔の思いや自分を罰する気持ちがスッキリなくなるとは思いません。でもいたずらにその思いで自分を責め続けることもまた違うのではないかと思います。
その在り方は結局「(自分の想像の)水子のせい」にしてしまう在り方だからです。

確かめようがない事ですが、亡き人はもうすべてのとらわれから解放されて穏やかな世界に還っていった。そしてその命の終わりを通して残された私たちが仏法と出会う縁を紡いでくれた。
そのことをもって仏様としてのその子に出会い直していきませんか?供養もその様にいただいていきませんか?

そのように出会い直せたならば、その子をあなたを恨むような存在に見出すことはなくなると思います。ただ後悔がなくなるかというとまたそれはちょっと違うかもしれません。

そうしたモヤモヤを引っ提げて人は生きていくのです。それでいいのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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すでに生まれ変わっている

仏教では輪廻転生を前提に考えます。
亡くなった水子は、すでに新しい生きもの(人間とは限らない)に生まれ変わっています。
寿命の短い動物に生まれ変わっていた場合、その後にさらに亡くなってまた違う生きものに生まれているかもしれません。
町ですれ違った見知らぬ子供が、実は水子の生まれかわりかもしれません。
目の前を飛んでいる虫がそうかもしれませんし。
で、かなり修行を積んで神通力を手に入れた場合は、前世の記憶を思い出せるらしいですが、普通は、前世のことは忘れています。
水子も、今は違う生きものとして生活しており、あなたのことは忘れているでしょう。
あなただって、過去には水子だった可能性がありますが、忘れているし、仮に思い出したとしても、今さら当時の親を恨まないでしょう?
だから、過去の水子よりも、毎日出会う目の前の生きとし生けるものに対して、
その幸せを願い、悩み苦しみをなくしてあげたいと願い、成功を喜んであげましょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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ご縁

あつこさま

水子さんは純粋無垢であるのかどうかですが、ある一面から言えば、私たち大人と比べてとしてならば、確かに純粋無垢であると言えます。しかし、本能的な煩悩は生まれながらにして持っており、仏教的な側面から言えば、無明(根本的な無知)を有していることは、私たちとさほどは変わらないため、完全に純粋無垢とは言えないところとなります。

水子さんは、今世では、この世に生まれられる命の縁が調わなかったことになりますが、過去世からの業の因縁(原因と条件)により、輪廻する存在である以上は、また別の生を受けている可能性は高いものであるかとは存じます。

では、次の生(あるいは次の生へと向かう中有)において、前の生のことで恨むことがあるかどうかは、まあ、ほとんどの場合前世の記憶は消え去るため、それは無いかとは思います。

ただ、記憶は消え去ってしまってはいても、僅かなりにもご縁があったことの習気(経験が心に染み付いてあること)が業に残っていることはあります。前世での繋がりの縁が来世、来来世にも影響を与えることはあり得ます。ですから、その習気により、また互いに何らかのカタチにての縁があることもあり得るところではあります。

いずれにしても、輪廻にある限りは迷い苦しむ存在であることになるため、この迷い苦しみの輪廻から逃れられるための道である仏教の修習を進めて参りたいものとなります。

その水子さんにも、確かなる仏縁によりて、輪廻の迷い苦しみから逃れるための道を歩められますようにと、これからもご供養をして頂けましたら有り難いと存じます。

同じご仏縁の下で、またご縁が調えば逢えることもあるのだとして。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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