親子の縁の意味・子どもとの関係について
私と子どもとは顔も体つきもよくにており、体質もおそらく性格も似ているようです。
話のテンポや物事に対する感覚もにているのでこの子と一緒にいると楽しいと感じるのですが、一方でこの子と一緒にいるのはしんどいと感じることもあり、これはどういう縁で親子になったのだろう?と考えることがあります。
どういうときにしんどいと感じるのか振り返ってみたのですが、大抵は子どもが体調不良を訴えたり、後ろ向きな発言をしたときであることに気づきました。
子どもはよくしんどい、疲れたと言うのですが、それは体質的なものもありますが、精神的な弱さが体の症状として出ている部分も大いにあるように感じます。小さい頃から繊細なところがあり、不登校傾向、学校にいけない原因は本人にもよくわからず、行こうとすると気分が悪くなったり頭痛や腹痛を起こしたりするので、結果として学校から足が遠退くというふうなものでした。
今は二十歳を過ぎ、好きなことに打ち込める環境にいます。
それでも時々「自分なんか」といったようなネガティブな発言をしたり、ここが痛い、こんなふうに調子が悪いと口にします。疲れた、面倒、しんどい、も口癖のようです。それを聞くと私がものすごく負担を感じてしまうのです。私が生んだから?私が育てたから?という自責の念を覚えるのと、この子を育てることが私の今生で与えられた修行であるかのような感覚を覚えるからなのです。
さてそういうときの子どもの様子ですが、本当に体調不良なら病院で診てもらうよういっても、それは面倒だといって行きません。
診てもらったところでどこも悪くない…過去にもそういったことが何度かあったから、今度もそうだというのです。
だったらあえて前向きなことを口にして、あまりしんどいしんどい言わないようにすればいいのでは?と言ってみるのですが、それは無理と言ったり。
親に甘えているようにも感じますし、かといってこちらが心配してあれこれ言うと煙たがり…反発されてしまうのです。
こんな風でも、最初に書いたように、プラスの感覚を一番共感しあえるのもこの子なのです(下にもう一人子がいますが、この子とはそうはいきません)。
私と子どもが親子である意味、近い将来親元を巣だつであろう子に対する接し方、心のもちようなどアドバイスをいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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子どもは親を選んで生まれてきます
仏教ではたまたまどこそこに生まれてきた、偶然だとは考えません。両親を選んで、ことに男の子はお母さんがいいなと思い、女の子はお父さんをいいなと思ってその夫婦のもとに生まれると考えます。子どもに「選ばれて」親子関係が成立しているらしいです。誰もそんなときのことは覚えていませんけど。
さて、お子さんが、しんどいとか疲れたとかおっしゃるのは、お母さんの前だと安心して弱いところが見せられるからではないでしょうか。その証拠というのもなんですが、疲れたのなんのとおっしゃっていても独り立ちできるくらいに社会で活動なさっているようですし。でしたら、甘えさせてあげていたらよいように思います。受け入れてあげる、懐に包む、と言ったらいいでしょうか。
たぶんとてもよい親子関係なのだろうと思います。羨ましいですね。
質問者からのお礼
甘えとして大きく受け止める余裕が私にないのかもしれませんね。
子どもが何か言おうとするたび、今度はどんな愚痴か、どんな不調を訴えてくるのかと身構えてしまいます。
私自身に親としての器がないのかもひれません。もっとしっかりしなくてはと改めて思いました。