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お願い事をする時について質問です。

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

知り合いから願いが叶うお寺(神社?)の話を聞きました。
なんでも自分の好きな食べ物や趣味などを1つ断つ代わりに願いが叶うそうで知り合い含め知り合いの周りでは5人程叶っているそうです。
そこで何があるか考えた所好きだけど大好物という程でもない物でどうかと思ったのですが叶った人は大好物の物を出していてやっぱりそこは好きな度合いと比例するのかなと考えてしまいます。
また願い事なんですが仕事運が上がる所で仕事の数を増やして借金完済というものなんですがこの場合2つになってしまわないでしょうか?(><)
回答頂けるとありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大事なことは何か

ご相談拝読しました。

お知り合いの方が断ち祈願をされて願い事がなかったというのはタマタマか、あるいはそれなりの努力をしたからではないでしょうか。

断ち祈願について私は詳しくはありませんが、何か好きなものを断つことで願い叶うというのは道理に合いません。
そのようなことが道理に合うためには、そういう願い事を叶えてくれる神仏が存在すること、そしてその神仏が断ち祈願という取引に応じてくれることが条件となるでしょう?まるでこっちは好きな事我慢するんだからそっちは願いを叶えろと言う無茶苦茶な取引です。ギブアンドテイクにすらなっていないかもしれません。

そうではなくて、断ち祈願と言うのは本来は、好きなものを断ってまで願い事の成就にむけて努力することを誓うようなものなのではないでしょうか。神仏の前で誓いをすることで身を引き締め、断ち物をすることは努力継続の象徴とする効果があるのではないでしょうか。

だから大事な事は願い事がいくつあるとか、何を断つかとかではなく、あなたがきちんとその願い事の成就に向けて現実的な努力を怠らない事だと思います。

どれくらいの借金か分かりませんが、できてしまったものはコツコツ返すしかありません。美味い話はないのです。

仏様とはあなたの願いを叶える存在ではなく、あなた自身を救う存在です。その救いに借金の有無は関係ありません。もっと深いあなたの本当の願いを呼び覚ましてくれるのが仏様です。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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