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信心するしないは、幸せに関係しますか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

いつも、ありがとうございます。
時々、疑問に思う事を質問させて下さい。
私の母は、昔から凄い信心する人で、私が思うに母が若い時に死ぬような病を祈願してもらって助かったことから、信心するようになったのかもしれません。
私が小さい時、お地蔵さんにお参りなど一緒に連れて行ってました。お寺や神社、お地蔵さん、ほんとによく通ってました。
私達が無事に過ごせますように。とのお願いをしていました。よく聞きますが、自分が年をとって人の手を取らなくていいように…のお願いもしていました。
そして、現在は私に依存しきってます。どんな時も私にです。人の手を取らなくていい!なんて有り得ません。とにかく私は、母の依存に疲れてます。年取ったから仕方ないとは思ってますが、仕事も忙しく、家事もして実家のことまで…それに適応障害の弟の事まで。 信心して、あれ程祈ってたのに。なので私が思うに人の手を取るとかは、自分の心の持ち方で変わると思います。そんな母の幼稚さ?になんだか悲しくなったり… 母は今では全く信心の気持ちは無くなってます。なんで、あんなにお参りしたんだろう?何もならんかった。と言ってます。 それに比べて私の友達の家は全くの無信心です。お父さんが亡くなって初盆でも和尚さんも呼ばずにお経もあげてません。 けれど、お母さんは、いつも前向きで
一人暮らしですが楽しく生活していて、娘(私の友達)に依存する事なく自立しています。
生きていくうえで信心していれば幸せになる、無信心だとご先祖様からも応援してもらえない。 なんて事は、関係ないのでしょうか? それは私の小さい頃からの思い込みでしょうか?
母からの依存は年だから仕方ない、後何年生きるかも分からないから、色々不満を持たずに接して行こう!とは思う時もありますが、ほんとにほんとに疲れます。
体が不自由になった訳でもなく、歩く速度は遅くなりましたが何でもできるのに、ヘルパーさんの仕事に買い物を頼んでるのに、週1は必ず私が買い物に連れて行かなくてはいけない事、それを母は当たり前と思ってる事も…ほんとに疲れてます。
母が亡くなるまで、こんな事が続くのかと思うと何とも言えない気持ちになります。
そんな気持ちを母に言っても何とも思っていません。
こんな私に何かお言葉をお願いします。
よろしくお願いします。

2019年7月20日 19:04

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信心の意味(下心)はさまざま

日本の先祖(死者)供養の原点は、荒ぶる神を鎮める、死者は怖いので祟られないように慰める、という感覚もあるでしょう。
また、先祖や神様を供養していれば良いことがあるとか勝手な期待もあるでしょうね。
しかし、仏教の信心の基本は、悩み苦しみストレスの原因である煩悩を、制御したり消したりすることです。
先祖供養や死者への供養も、自分自身の慈悲の心を育て、怒りの煩悩(不平不満や不快感)を減らすため、つまりは、自分の心を不幸を感じにくい性格に育てるトレーニングの一環です。
ですから、宗教的な信仰をしていなくても、煩悩がもともと少ない人や、煩悩の制御が上手い人なら、特定の宗教に信心してなくても幸せを感じやすい性格のケースはあります。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩を制御するのが上手いなら、たとえば怠けの制御が上手いなら、仕事でも趣味でも成功する確率がアップする。
仏教は、そのようなコツを体系化したテクニック、ノウハウの教えです。
なお、お地蔵様は、仏教の開祖お釈迦様の亡きあと、この世界の生き物を助けてくださる伝説上の聖者です。

先祖供養していないから不幸になる、という単純な因果関係はないと思います。
ただ、先祖のために供養する、他者のために供養する、そのような慈悲と心のゆとりがある人は、幸せを感じ易くなると思います。

2019年7月20日 19:31
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

願誉浄史様 回答をありがとうございます。
幸せは信心するしない、ご先祖様の供養には関係ないと言うことですね。私は信心している人は人間的にも、できる人かな?と思うのですが母を見てると、そうでは無いな〜と思ってしまいます。
自分、家族の為に信心してたとは思いますが…今の母を見てると、あれ程信心してたのが嘘みたいです。先もあまり長くなく、今生きるので精一杯だから信心する気が無くなったのでしょうか?
幸せになりたい為に信心していたのでしょうか? あの頃の母の気持ちが私には分からないです。 どうもありがとうございました。

「宗教について」問答一覧

神様に関する領域の石を持ち帰ってしまい

仏教とは異なる宗教のお話をしてしまい申し訳ございません。 もう半年以上前に、自宅から遠くの、日本でもない、神様に関する領域(わざと遠回りな言い方をさせていただいております)を観光で訪れた際、つい地面の石を持ち帰ってしまいました。その後、そういったことはするべきではないと知りました。その日から今日まで、私は良いことも好ましくないことも経験しましたが、決してその石が私を悪いようにしているとは考えておりません。しかし、石を持ち帰ったことは咎められるべきことだと知った今、私はその石とお別れしたく、その石には別の場所へ行っていただきたく考えております。 一番良いのは同じ場所にお戻しすることですが、現状どうしてもそれはできません。そこで、本日流水と太陽光でその石を清め、明日(どうしても日が沈む頃の時間になってしまいますが)家から行ける距離の海にお返ししようと考えているのですが、このやり方は実行しても大丈夫なのでしょうか。「大丈夫なのでしょうか」とはその行いのせいで災いが齎されることはありませんかという意味です。 宗派が異なることは承知の上ですが、どうかご回答をいただきたく存じます。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

他の宗教を学ぶという事

私は…スピリチュアル的な物(パワーストーンとか占い)にハマった→流行りの御朱印集めにハマった→神社とお寺の参拝にハマった(その過程で神様や仏様と摩可不思議過ぎるご縁を頂きました!)→現在、神道と仏教の知識(書籍やネットが主)を学んでいるといったプロセスを踏んでいる者ですが… そんな私が「イスラム教」や「キリスト教」など世界の宗教を“なんとなく書籍やネットで学んで”良いのか…“仏教のお坊さんに”教えて欲しいです 何でそんな事聞くかと言うと…うまく説明出来ないのですが “神道の神様や仏教の仏様”に「こいつ異国の宗教に浮気しやがったな!?」って思われたり「こいつが我々に抱く信仰心はこんなものなのか…」って思われないか…どうか ちなみに何故私が日本にあまり馴染み無い宗教を学ぼうと発想したかと言うと単に他国の神の考え方捉え方を知りたくなった…それと 【高次元の存在は確かに存在するのだろうが、仏教神道といった宗教という人間の作った1つ2つの枠組みには捉えきれないものであろう、より多くの宗教(高次元の存在の考え方)を学べば、より高次元の存在と近しくなれるのではないか?詳しくそれらの存在を定義が出来るのではないか?そもそもその宗教に高次元の存在はいるのか】と発想がふと浮かんだからです こういったある種の実験(?)または知識欲の充実を図りたいのですが…どのような結果が付きまとうのか不安なんです “影響されやすい自分”が新たな知識や信仰を得てどのように仏教と神道を見直すか、場合によってはどのような報い(天罰とか仏罰)を受けるのかとか… あまりこんな事言うべきじゃないと思うのですが宗教は教義の違いからともすれば互いを否定しがちですもんね 私はそもそもお坊さんではないし在家信者の定義にも当てはまらない只の“神道仏教ファン”に分類されると思うので失礼は承知なのですが… 恐らくお坊さんの中には私と同じ事を発想された方がいらっしゃるのでないかな?と もしかしたら私のようにビビってまごついてる前に実践された方もいらっしゃるのでないかな?と思って質問させてもらいました どうか回答お願いします

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

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