亡くなった母に申し訳ない気持ちでいっぱいです
私は母1人子1人という母子家庭で育ちました。
父がいないということを感じさせないほど、母は休みなく働き収入を得、愛情をたくさん注いでくれました。
私は辛いときでも笑顔を絶やさない優しい母が大好きでした。
しかし母は10年前に突然病気になり治療の甲斐もなく亡くなってしまいました。
心臓をえぐられたような感覚とともに、視界に入るもの全てが色を失って見えたほどのショックでした。
私は尋常ではない程荒れました。
お酒を大量に飲みタバコも吸い始め、毎日泣きっぱなしで主人にも当たり散らしてしまいました。
そんな中でも主人や周りの人達に助けられ支えられて、時間が経つごとに笑顔を取り戻すことができましたが後悔だけは今もなくなりません。
母の事は大好きだったのに、反抗期が長く反発ばかりしていたこと、泣かせてしまったこと、なんの親孝行もできなかったこと、楽しみにしていた孫を見せられなかったこと…
私が母の心労を増やしてしまい病気になってしまったんだと後悔することばかりです。
謝りたくて仕方ないのに、親孝行したいのにもうどうしようもありません。
この気持ちはどうしたらいいのでしょうか。
ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
前を向き、一生懸命生きる。それで十分。
曹洞宗の吉田俊英と申します。他の質問者へ回答と重複する部分が有る点、ご容赦ください。
人生には出会いがあれば、必ず別れの時がやってきます。親から受けた恩を直接返そうと思っても、親が生きているうちには出来ません。
6年前の11月に私の父親は亡くなりました。その4か月後、母親が亡くなりました。実家を離れていたので、入院中なるべくお見舞いに行くように努めましたが、自分の寺の住職としての仕事がありましたので、あまり見舞いに行けませんでした。止むを得ないこととは言え、申し訳なく思っております。
葬式後、「亡くなった両親が喜んでくれるような生き方をしよう。」「亡くなった両親が安心してくれるような生き方をしよう。」という気持ちで、日々精進しなければ、という気持ちでおります。但し、その気持ちの通り100%実行できているかと言うと、残念な結果で終わっているというしかありません。というように、あまり偉そうなことを言える立場ではありませんが、敢えて私がアドバイスを申し上げるとしたら、「お母様の御恩と思い出を大事に、一生懸命生きていきましょう。」この言葉に尽きます。
人間ですから、いろいろと迷いが生じたり、だだをこねたくなったりすることもあります。でも、お母様は我が子の事ですから、きって許してくれますよ。後悔したくなるのは、みんな同じです。自分を改善するために過去を振り返ることは良いことですが、振り返っっぱなしでも駄目ですよ。前を向き、前に進むことが大事です。
お母様は亡くなられて、仏様の世界に行かれました。仏様の世界では、通信簿はつけません。「亡き母を思って、一生懸命に生きる。」「亡き母の喜んでくれるような生き方に努める。」これだけで十分です。仏様の世界では、結果を求めません。精進すること、行動することが大事なんです。仏様は過去の失敗や過ちを追求しません。前を向き、今を一生懸命生きていれば、「善哉、善哉。」と褒めてくれます。結果の好悪に関わらず、あなたが頑張って生きる姿を見せ続けるだけでいいんです。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございました。
読ませて頂きながら涙がでてしまいました。
でも後悔や悲しみからくる涙ではありません。困らせてしまうだけだから…と主人にさえも言えなかった気持ちでしたので真摯に受け止め答えて頂けたという思いと、軽くなったような感覚です。
母親が亡くなった後、母が誇れる産んで良かったと思える立派な人間にならなければいけないと思っていました。
しかし泣いてばかり、空回りばかりで全くもって違う生活態度しかできず辛かったです。
これからは「立派な人間」というよりも、母が笑顔になってくれるような「精一杯生きる人間」になっていきたいと思います。
時には間違いや失敗もあると思いますがそれでも笑って一生懸命前に進んでみます!
本当に心が軽くなりました。
お忙しい中ありがとうございました。