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油断からペットを死なせてしまいました

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有り難し有り難し 15

先週、6年と少し飼っていたペットのウーパールーパーを私の油断から死なせてしまいました。

6年前、おそらく生後2ヶ月位の頃に、ご縁あってその子は私の元へやってきました。頂いたなら育ててみようか、位の軽い気持ちで飼い始めましたが、世話をして日に日に成長する姿を見ていつしかとてもかけがえのない私の家族になりました。

ウーパールーパーは暑さに弱いので、夏は室温と水温の管理をし、万が一を考え外泊もしていませんでした。去年までの夏はこれで乗り切ってきました。

ところが今夏、私のどうしても観ておきたかったものが地方で開催される事を知りまた日帰りの距離では無かった為に、一晩だけ家を空ける事にしてしまいました。

夏は私が不在の時、水温が上がらないようにエアコンを常時つけており、エアコンをちゃんと点けてさえいれば一晩くらいなら大丈夫だろうと思い私は出掛けてしまいました。

翌日夜、帰宅して水槽を覗くとウーパールーパーが亡くなっていました。
前日朝にはいつも通りの姿を見せてくれたのに、と信じられない気持ちと、自分のしでかした事の重大さに打ちのめされました。

翌々日、近所のペット霊園にて火葬と埋葬をして頂きましたが、亡くなってから一週間経つ今も後悔ばかりで涙が止まりません。

私が自分の都合を優先したばかりに、あの子の死に際に立ち会えなかったこと。
また、私が居れば何か出来たかもしれないという自責。

全て今さらな事なのですが、見届けられなかった最期を想像するだけで自分を消してしまいたくなります。

また、死に目に会えなかった事は私が自分の都合を優先した事に対するあの子なりのメッセージのような気がしてなりません。

昔から家族というものに恵まれなかった私に、あの子だけが唯一の「無償の愛」を教えてくれました。
そんなあの子に私は酷い事をして死に追いやってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

これからどのような心持ちで生きていけばあの子への贖罪になりますでしょうか。

2019年8月14日 10:11

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これまでのかかわり方が大切

ウーパールーパーにお悔やみを申し上げます。人間の家族や親せきはひとを苦しめたり裏切ったりすることもありますが、飼っている生き物が飼い主を裏切ることはありません。無償の愛ということを教えてくれた、とおっしゃっていますが、そんな掛け替えのないコンパニオン(同伴者)だったのですね。

さて、最期のときいっしょにいられなかった、ということですがそれは仕方ないことだと思います。人間の家族の死に目にあえなかったということを悔いる方がたくさんおられますが、最期のときに同席できない縁があれば同席できません。私も両親の死に目にあっていません。そのとき同席できない事情があれば、ずっと介護し続けている方ですら死に目にあえません。

あなたの場合、家を空けたそのときに、ということなので食いに残るところは大きいでしょう。ですが、室温調節はキチンとなさっていたのですから、ちゃんと対策はたてておられたわけです。お尋ねにお答えするためインターネットで調べましたが、あなたに落ち度があったとは思えず、たまたまそのときに寿命を迎えたのでしょう。残念かもしれませんが、ご自身を責めることではないでしょう。

私はいつも死に目にあえなかったという方に申すことがあります。時間的なその一点を問題にするより、どこまで大切に思い、愛情をかけて関わってこられたかという時間の継続の方がずっと大事だと思います。ずっとずっと大切に育ててこられたなら、最期には立ち会えなくてもウーパールーパーは感謝し、あなたとの出会いと、あなたとの日々を喜んで、感謝しているはずです。あなたにありがとうといって命を終えているはずです。その点で、何も自分を責めることはありません。人間はいろんなことをしたいし、しなきゃならないから、亡くなるその一点にはタイミングが合わないことがあるのは仕方ないです。そんなことをウーパールーパーは全然責めてなくて、あなたにありがとうって言ってくれていますよ。

2019年8月15日 10:20
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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

質問者からのお礼

ご多忙の中、有難いお言葉をありがとうございます。また、回答の為にインターネットでお調べ頂いたとの事、重ねて篤く御礼申し上げます。

最期に会えない縁、もあるのですね。
とても寂しい事ですが、それなら仕方ないのかもしれないと少しだけ自分を楽にしてあげられました。また、生前の関わりの方が大切というお言葉にとても救われました。
亡くしてから今まで自責の念ばかりが私を支配していましたが、これからは常にあの子への感謝の気持ちを持ち続け生きていこうと思います。
ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

ただ聞いてほしいだけです

ただ聞いてほしいだけです。 身内や知り合いではない誰かに聞いてほしいのです。 2日前に母が病死しました。 ひとりになると辛くなり、母に対する後悔がたくさん出てきて、涙も止まらず、もうどうしようもない気持ちになります。 母が病気で心の支えは娘の私だとわかっていたけれど、受験勉強を言い訳にしてお見舞いもほとんど行かず、臨終にも立ち会うことができませんでした。 病気で苦しんでいる母を見たくなくて母と会うことを避けていました。 それを知っての祖父の気遣いだったのだと思います。母の死に間際、苦しんでるその姿を私に見せてはいけないと判断して、母が亡くなった後に私に連絡が入りました。 臨終に立ち会えなかったこと。お見舞いにほとんど行かなかったこと。私の勉強のサポートをしてくれたのに、病気の母をサポートできず、寄り添えなかったこと。病気の母を友達に見られることが恥ずかしくて、高校最後の体育祭を見に行きたいと言っていた母を来られないように入場券を渡さなかったこと。病気の原因であるお酒を必死に、全力で、止めれなかったこと。今まで散々酷い言葉を言ってしまったこと。わがままばかりで迷惑をかけたこと。 ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。後悔しています。ごめんなさい。

有り難し有り難し 12
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亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

有り難し有り難し 9
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亡くなった姑に対する悩み

今年の6月終わりに姑が68才で亡くなりました。アパートでの孤独死でした。 去年の10月ぐらいに、姑の調子が悪いとアパート管理人から電話があり検査の結果、腰の骨が折れていました。 その当時、姑はパートを辞めたばかりで保険証の切り替えをしておらず、無保険の状態。今から私が取りに行くから!ということで無理やり診察をしてもらいました。即入院ということでしたが、個室しか空いてる部屋がありませんでした。そのため、姑は必死に入院をいやがり、看護士さんに悪態をつく始末。半ば医者に怒鳴られて、追い返されました。 仕方なく、病院をでて、アパートまで連れていきました。始めて中に入ったのですが、中はゴミ屋敷状態でした。部屋からはタバコのやにわにの臭いが強烈に漂い、至るところに栄養ドリンクのビンが転がっていました。とりあえず、場所をつくり保険証の切り替えに部屋をでました。 役所に出向き、保険証を社保から国保に切り替え、今の事情から包括支援センターに電話するとよいと教えていただきました。そこのつてを頼って、なんとか空いてい整形外科を見つけて入院。 義姉が、通帳を預かったそうですが、残高は0、10万ほど借金があったようです。また、年金が月8万ほどしかなく、家賃が3万円。月に5万での生活。退院後、3ヶ月義姉のところで療養アパートに帰ってきました。 部屋は義姉が綺麗にしたそうです。 お金のことが、気になってはいましたが、昨年、祖母、姑の母が亡くなり、70万ほどでしたが遺産があると聞いていました。そのため、急には困らないと思っていました。主人には、生活保護の申請をしたらどうだろうか?援助したらどうだろうか?と相談していましたが、大丈夫、の一言でした。昔は家事をしていた、ケガがなおったから大丈夫だと。でも、部屋の様子は、かなり前からセルフネグレクト。 でも、もし私が口を出せば、全てを任せきられることはわかってました。入院中も一人で面倒をみたから。介護を入れるにも、先立つものがいる。私には四人の子どもがおり、金銭、時間的にも姑の面倒までは無理でした。 あの時、皆に反対されても包括支援センターに電話して、生活保護の申請をすれば、亡くならずにすんだのではないか?もっと、まともな生活ができたのではないかと悩んでいます。 もう、亡くなったのだから...とは思いますが後悔の思いがあります。

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母が亡くなりました

一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

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叔父が亡くなりました

今月の7日に大好きだった叔父が亡くなりました。叔父は私の母の兄であり、片親の私にとっては父親のような存在でした。 生前、叔父は大病を患い奇跡的に回復し仕事を無理のない範囲で出来る程までになりました。亡くなる数ヶ月前から再び体調を悪くし入退院を繰り返していましたが、弱ったところを見せたくない心配させたくない、という叔父の思いから私と母やそれ以外の人にも内緒にしていました。叔父からの連絡がないので心配した母と私が叔父の元を訪ねて、体調が悪いことが発覚しました。 それからは心配で、定期的に叔父宅を訪ねていました。体調が悪い中でも、前向きに回復へ向かおうともがいていましたし私達もきっと良くなると思いながら叔父を見守っていました。 最後に会った時は、いつもより調子が良さそうで沢山お話ができて笑顔の時間もありました。それから1ヶ月経たないうちのお別れで後悔ばかり残っています。 私は祖母(叔父の母)と母の三人暮らしです。 祖母には叔父の病状を全く知らせていませんでした(叔父の意向もあって)。なので、久しぶりの対面がこんな形になってしまった事に後悔しています。祖母は滅多に泣かない人で、私は祖母の涙を一度も見たことはなかったのですが、斎場での最後のお別れの時間涙を流して悲しんでいました。母も突然の事でショックが大きく葬儀が終わるまで泣き続けていました。 時間が解決してくれるとは思いますが、2人の悲しみを少しでも和らげて支えてあげたいです。 私はどのように立ち振る舞い2人に声をかけてあげたらいいのでしょうか。 また、亡くなった叔父は私達のことも見守ってくれているのでしょうか。

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母が旅立ちました 私は酷い娘です

母が20日前に亡くなりました 認知症と肺疾患を患っていた母 父からの暴力を受けてた母 主人が単身赴任していたこともあり 3年半前に私が引き取り 2人で暮らし始めました 話が噛み合うことも たまにはありましたが 認知症のせいで 人格障害 激昂や 私に執着したりする症状 子供返りに 悩まされました 私は母を引きとることに 躊躇していました パートで仕事に出ている間 母を1人で置いてくのが不安だったため デイサービスやショートステイを頻繁に利用していました ショートステイに行ってる間は 会社帰りに寄り道できたり 自由を感じていました 自分の事を最優先にして 母の事は二の次でした 亡くなる二、三ヶ月前から 肺機能が極端に悪くなり いつ亡くなってもおかしくない状態でしたが その頃から 夜中ベッドから私を大声で呼びかけるようになりました トイレに行きましたとか ベッドに上がらせてとか 私は知らんぷりを決め込み 母を手助けしませんでした 翌朝 母に 聞いても 覚えてないと言ってました 母が自宅にいる日は毎日続きました 失禁も多くなり 痰を洗面台に吐きっぱなしにしたり 尿の臭いがキツく ティッシュを無駄遣いしたり ご飯要るといいながら 食べなかったり 私は自制心が効かなくなり 母に酷い言葉を浴びせました オムツ交換の時も足を上げようとしない 母の足を何度も ペチペチと叩きました 母は二酸化炭素を排出できない病で 運動機能や記憶 排泄機能 いろんな ところに障害がでていたことに 私は気づきませんでした 私は小さな頃から 父が母に暴力を目の当たりにして 育ちました 母が沸騰したお湯を床に置いてしまった せいで 幼い私は足を突っ込み 火傷を負い 傷が残りました 先天性の股関節の病もあり 自分は母に 迷惑ばかりかけられていると詰りました 母が倒れる前の晩にそんなことを言いました これまで何度も母と離れたいと思ってきたけど 限界に近かった 本当に心底母から離れたいと思ってしまいました そして 母は倒れ 丸2日苦しんで 私は母を見送ることも出来ず旅立たせてしまいました 母に酷いことばかりして 母に優しくしてあげることができず 悲しい記憶ばかりが残ってしまいました 母に謝まりたい でももう届かない 苦しくて 辛いです 私はどうしたら良かったのか わからないままです

有り難し有り難し 22
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