後悔の気持ちが強いです
母の急死から1ヶ月が経ちました。まだ60歳になる前でした。生前の母は亡くなるその日まで元気でした。夜寝る前に私に今日は頭が痛いから早めに寝るねと言って、その後睡眠中に脳出血で他界しました。
なぜそのまま寝かせたのか、病院に連れていくなり救急車を呼ぶなりしていれば助かったのではないか、定期的に病院で検診を受けさせていればと思い自分を責める毎日です。
私が自分を責めても母が戻ってくる訳でも母が喜ぶ訳でもない事は分かっていますが、気持ちのやり場がなく辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私より少し年上の母上ですね
お若くして急逝なさった母上に哀悼の意を表します。
母上は60歳前ということですから、57歳の私より少しだけお姉さんですね。個人差がありますから断定的には言えませんが、女性でこの年齢ですと慢性疾患を抱えている人以外はとても元気な人が多く、なかなか予測できにくいのではないですか。「頭が痛いから早めに寝る」くらいで異変を感じられるのは医療関係者でも難しいと思います。
年齢が近いので私自身を例にとりますと、現在は検診に引っかかることありません。血圧が高かったのですが(160台/100台)、減量したため正常値になりました。女性ですと、これも個人差があるものの、男性よりも血圧が低い人が多いです。母上はどうだったのでしょう。一般論としてしかものが言えませんが、血圧やその他の指標が正常なら脳血管性の病気を予想するのは困難です。日頃から体の不調を訴えられることが常態化していて、かつ病院に行っておられなかったのでしたら、その場合のみ、息子さんとして過失があるのかもしれません。だけど、そんなことは今の日本ではまず考えられません。
ご自身を責めておしまいになるお気持ちは理解できなくはありませんが、突発的な亡くなり方で、誰を責めるということではないと思います。実際、檀家さんの30代前半の、まったく検診に引っかかったことのない男性が、ある日突然、くも膜下出血になられました。生身の人間は、いろんなものが寄り集まってできているのですから、検診の数字とか、体質とかでは計り知れないことで倒れてしまう存在です。誰もが、明日という日が必ずあると言い切れない無常な存在である、と仏教は説きます。その通りですよね。
母上と年齢が近い私は、ずいぶんいろんな方々のお葬儀を勤めてきました。若い方々でお父さん、お母さんに看病された末に亡くなった方もありました。人の生涯は、一人ひとり生き方が違うのと同様、亡くなり方も様々です。でも、私の場合は例外なく家族に愛されていた方々のお葬儀でした。
母上の急逝を納得できなくて、苦しんでおいでになるのは、母上があなたにとってかけがえのない素晴らしいお母さんであったからですね。お母さんのことを大切にお思いになり、法事をお勤めになる際にはお坊さんとよくお話になり、お寺にもお参りくださったら、人の生き死にの問題、仏さまの存在が明らかになるものと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。なんとか前向きになって母を弔っていきます。