生まれてきてよかったの?
自分が感じていた生きづらさは、自分の心や思い込みだと知り、本心と向き合うこと、見ないように封じていた感情と向き合うことを続けています。
どうせ自分は見捨てられる、愛されない、など、色々と思い込んでいたことに気づきましたが、その最奥にあったのが
「自分は生まれてきて良かったのだろうか」
という思いでした。
(家庭の事情で)作るつもりのなかった子供がたまたま出来てしまったので、産んだのが私だった、と子供の頃に母から聞かされ、
これまで感じないようにしていたけれど、かなり傷ついていたことを、今思い出して、抑圧した哀しみを感じています。
それでも両親の思い通りにならなかった私を育ててくれた。
もしかしたら私は、受け入れられているのだろうか?と少し感じていますが、
まだ、生まれてきてごめんなさいというショックも大きく、動揺しています。
この感情に蓋をせず感じ切ることも自分がしないといけないこと、と覚悟していますが、私は生まれてきて良かったのだと信じても大丈夫でしょうか。
私はこの世界で幸せになっても良いのでしょうか。
どうぞご縁が頂けましたら、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
せっかく誕生してきたのです。楽しんでください。
>この感情に蓋をせず感じ切ることも自分がしないといけないこと、と覚悟していますが、私は生まれてきて良かったのだと信じても大丈夫でしょうか。
ぷりんさんのお答えは感じていることそのものです。ご自身の感情に蓋をしないこと感じるきること。とても大変なことかもしれませんが、意外と楽なことかもしれません。
あらゆる経験、体験を通じて、ご自身の殻から抜け出せます。
誰しも、この世に誕生するこということは、偶然でもなくたまたまということはありません。すべてに意味があって誕生し、親子兄弟夫婦、家族として様々な経験、もちろん辛いことも理不尽なことも、でも楽しいこともすべてが、自分が今回体験したかったことです。
だから、少し方向を変えれば、見方を変えれば、人生は変わります。
それに自ら不幸になるような道を選択しなければいいのです。それでなくても思い通りにならないことは多々あります。でも、後悔をしたり誰かのせいにしたり、憎んたりしなければ、必ず、幸せになれます。
まずは、生まれてこない方がよかった。という思いは断ち切りましょう。そして両親に感謝を忘れないでください。
人生は楽しむものです。
生まれてきてダメな生きものなんていない
生命が生まれるのは自然現象みたいなもので、良いとか悪いとか言って気にしたって仕方ないのです。
仏教では、自分の存在価値を気にするのは、「慢」という煩悩、プライドの煩悩なのです。
仏教的な理想は、生まれてきて良かったとか悪かったとか、そんなことは気にしないことです。
しかし、まったく気にしないのは難しいですね。
結論としては、生まれてきてダメな生きものなんていないのです。
生きものに決まっていることは、必ず死ぬということ。
生まれて悪かったとか、そんなことを考えて立ち止まっている時間がもったいない、二度と考える必要はないと思いましょう。