友達に嫌われてしまいました。
はじめまして。
お世話になります。
去年、社会人になり初めて女友達が出来ました。
知り合って間もなく、メールの返事がなくなり、相手の態度も何となく素っ気なく感じて、自分の馴れ馴れしい態度が原因で何か嫌な気持ちにさせてしまったかもしれないと思い「嫌な気持ちにさせてしまって申し訳ない、もし良かったら友達でいてほしい」という旨の、早とちりで重たい内容のメールを送ってしまいました。
当然、しばらくして「ごめんなさい」という返事が来て、相手から嫌われてしまいました。
私は思い込みが激しかったり、人目を気にしやすい傾向にあります。
小さい頃、母親の言うことを聞かず、駄々をこねてしまったのが原因で、繁華街のど真ん中で怒られて車で置いていかれた事があり、人生で一番最初の記憶になります。
この小さい頃の出来事以来、言いたい事を言って否定される事を考えるとそっちの方がショックが大きいので、楽しかったり悲しかったりしても、感情表現したくても、つい平静を装ってしまう。
相手の顔色を伺い、相手の望む返事をし続けてきたせいか、自分の意思や気持ちがわからなかったり、相手の顔色に過剰に反応してしまいます。
こんな自分を変えたい、このままではいけないという思いから、出来るだけ感情を表現してみる。
出来るだけその時に思った事を言ってみる、伝えてみるなど、自分なりに行動していく中で、このような事がありました。
こんな時はどうすればいいのでしょうか。
もう人間関係を修復する事は出来ないのでしょうか。
もう一度友達になってもいいかなと思われる人間になればいいだけの話なのですが、具体的な方法が分かりません。
また、「もう一度友達になれたらな」という思いと、「自分の言いたい事を言って嫌われたのなら仕方ない、過去に縛られて生きるよりも今を一生懸命に生き、これからの出会いや縁に期待して生きていく方が良い」という思いが両立し、イマイチ踏ん切りがつきません。
長文、乱文になってしまい恐縮ですがご回答頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。
過去を振り返り後悔したりクヨクヨしてしまう時がある
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました
こうした経験は社会経験が浅い頃の私にもありました
その上で申し上げます助言です
今の解決できない問題を過去の問題にせいにしてしまうのは
良い事ではありません
それが癖になると今の問題を解決する事を諦めてしまう
弱い自分を認めてしまう事になります
誰しも人は弱いものですがね
己を強くできるのは
強くあろうとする自分の意志だけなのです
どんな時も
幼い頃の出来事と今回の出来事は分けて考えるとよいのです
人は難解で自責の生じる問題にぶつかると
原因を探します
原因が見つからない不安な状況を解決するため
無意識に過去の解決していない体験を結びつけようとしますが
これでは不安はますます膨らんでしまいます
どんな時も今の問題は今の問題
過去の問題は過去の問題と分けて考えましょう
過去の問題についてですが
辛い体験が己の人格形成に影響する事は否定できません
ですが誰しもが早く過去の問題を解決し今に生きる必要があります
今の自分の問題が親の育て方にあったとしても
自分で乗り越えていく覚悟が無ければ
いつまでも誰かの期待する答えしか出せません
仏教とは究極の自己責任を求める宗教です
つまり今の判断が今の自分を決めるのですね
ですから過去の親や境遇のせいにする事は迷う一方であると説きます
今の問題ですが
先も申した通り
嫌われる事はよくある事です
大した理由は無くともおそらくは
生理的に無理と思われたことも私にだってあります
生きるとはそういうものなのです
好いてくれる人もいれば
嫌う人もあり
良い人もいれば
悪い人もいる
厳しいですが
それが世の中です
ありのまま受け止めれば良いのです
生きるとは無数の出会いに恵まれ
無数の別れを繰り返し織りなされるものです
これは「会者定離の理」と申しまして
人が持って生まれた必ず経験する苦しみなのです
次の縁に期待し
次の縁のために過去の問題を遠くのものとした
去る者追わぬ新しい魅力的な自分になってください
合掌