父の死と不登校の子供について
先日は、亡くなった父のことでご相談させて頂きありがとうございました。今回は、不登校の子供のことでご相談させて頂きます。うちには、高校生の子供がおり入学間もなく不登校になりました。確信的なことは分かりませんが人間関係が原因のようです。亡くなった祖父のことを兄弟の中でも一番大好きな子でした。不登校は暫く続いていましたが少し前向きになり新学期から休まずに行けていたのですが、ある日、部活の大会と祖父の死が重なり親の私は、「最後のお別れや葬儀に出れなくても祖父にはいつでも会いに行くことが出来る、それより自分の大事な大会に出ることの方が祖父は喜ぶ。」と伝え、死に目に会えなかった子供の為に、大会頑張れとの思いで、エールのつもりで亡くなる数時間前(まだ動画を撮っている時は、私自身、父の死が数時間後に訪れることなど思いもしませんでした。)の祖父の動画(父は病室に居たのですが音楽が聴こえ出すと『行きたい。』と言い、歌が大好きな父はボランティアの音楽療法士の方にファンの歌謡曲をリクエスト、ピアノ演奏して頂き、呼吸しづらい状態で口ずさんでいる動画でした。)を子供に送りました。その動画を観た子供は、私の思いとは逆で大会(不登校でいくつもの大会に出場出来ずこの大会は今シーズン最後の大会でした。)は諦めどうしても祖父に会いお別れをしたいと葬儀に出ることを選びました。主人にそのことを話すと「おまえが至らぬことをしたからだ。」と厳しい一言が返ってきました。私は良かれと思ってしたことなのに主人からそう言われ自分の浅はかな行動でと後悔しました。その後忌引きで数日欠席し、続けて2日程学校側の代休も重なり久しぶりの登校に張りつめていた糸が切れたかのように再び行けなくなってしまいました。現在欠席日数ぎりぎりで、退学、留年、転学かを意識するようになり本人はメンタル面できつく辛い状況です。私がしたことは、私の自己満足でしかなく子供の気持ちなど本当は考えていなかったのではと自問自答し、やるせない気持ちになることがあります。厳しいお叱りも覚悟の上でご相談させて頂きました。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を責めないで。それぞれの立場で大切に想うものがあります。
葬儀に参ることが、そんなにいけないことですか。
大切な人との最期のお別れに、きちんと手を合わせたいと、葬儀式で死と向き合う選択をしたお子さんに、私はホッと安心しましたよ。
何が大事かは、本人が決めること。
あなたの動画がきっかけだったとしても、お子さんの意思を誰よりも尊重できる親でいてあげてくださいね。
最後の試合だったかもしれない。
出場させてやりたいというのはわかります。
ただ、お葬儀も、自分のいのちに向き合う 大切な時間。
この世は無常です。
私たちは、いつなんどきか、わかりません。
いのちの行方をしっかり知り、生きる意味を問うていくのが、お葬儀ですよ。
そう、住職さんは、説かれませんでしたか?
お子さんの選択を、ちゃんと認め 尊重を。
不登校にも理由がありますし、学校へ行く という行為に捉われず、お子さんの想いに添える親でありたいですね。(私も わが子には、そう思って向き合っています)
自分を責めないで。
それぞれの立場で、大切に想うものがあります。
祖父さまは最期まで生きぬかれ、その姿に、お子さんは会いたかったのでしょう。
その気持ちを、否定できますか?
よく参ってくれたわね。
ありがとう。
それが一番じゃないですか。
私もこちらから、手を合わせます。 合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
あれから、ずっと主人から言われた言葉が頭から離れずに 不登校の引き金を引いたのは私だと責める自分がいました。
息子が選んだ祖父とのお別れを尊重したことは間違いではなかったのですね。
今日、学校から呼び出しの電話があり明日親子で行きます。息子は泣いています。
今まで沢山の不登校経験者の親御さんと交流を交わし不登校について勉強し私自身も以前より精神的に強くなりました。息子も、昨日から前向きに考えるようになり出した矢先でした。しかし
父が息子のことを見守ってくれていると思いますので、これからどうなるか分かりませんが息子に寄り添い、自分の道を自分で切り開けるようサポートしていこうと思います。
気づかせて頂いたこと感謝致します。本当にありがとうございました。