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希死念慮を失くしたい

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有り難し有り難し 22

自殺願望が芽生え始めたのは、記憶では小学4年生頃からです。それは高校3年生頃まで続いていました。
理由は、母のしつけが自分にはとても辛く感じていたためです。(母子家庭)母が仕事から帰ってくると機嫌が悪く、威圧的であったり、嫌味であったり、怒鳴るような叱り方を頻繁にされていました。
大学では一人暮らしで連絡もほとんど取っていなかったので、しつけが辛いと感じることは少なくなりました。その頃から、自殺願望から希死念慮に変わったと思います。

自殺未遂は中3〜高2までリストカット、大学〜2回首吊りを試みています。首吊りの2回は、もう十分人生楽しんだから、嫌なことが起こる前に死のうという気持ちからです。

昔から友人は多く、恋愛も人並みにしていたので、楽しい生活ではあったのですが、どんなに幸せな毎日でも、可能であれば今すぐに死にたいと思い続けています。
特に死にたい理由は思い浮かびませんが、こんなにも恵まれているのに死にたいと思ってしまうのが嫌で死にたい。と思うこともあります。
たまに理由もなく死にたすぎて涙が出ることもあります。

まとまりはありませんが、こんな死にたいLIFEを送っています。ですが、できることなら死にたいと思う気持ちを失くしたいです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

安心して下さい

拝読させて頂きました。
あなたのこころの奥底でさみしいお気持ちや悲しいお気持ちがあるように感じました。今まで様々なことや人から受けたことが積み重なってあなたのこころの中をおおっているのではないかな?と感じました。
あなたのお気持ちの詳細は分かりませんがあなたがその様にお感じなさることももっともなこともあると私は思います。
あなたのお気持ちをこころよりお察し申し上げます。

人は生きることについて大なり小なり疑問に感じ不安を抱いているものかと思います。自分はどこから来てどんなご縁があって今ここにいるのか、これからどこに行くのか定かではありませんから不安や疑問を抱えながらも今を生きています。
そんな中でフッと自分の存在ごと消えてなくなってしまいそうな思いを抱くこともありますし、そんなこれからの自分について考える中でいっそのこと無くなってしまいたいと思うこともあるものです。
死んでしまいたいという感覚は人それぞれ違いがありますがあります、大なり小なりその様な衝動にかられる自分がいることは自覚して頂くことも必要かと思います。
また仮にですが自分が亡くなった場合には別の者に生まれ変わって違う次元で生きることもあるかと思いますし、その様な思いを抱くこともある意味自然なことです。

ですからそう考えてしまう様な自分であることを受け入れていくことが大事なことと私は思います。

以前私も不安や恐怖に毎日苛まれている時にもフッと死にたいと思っていましたし、何気ない平穏な生活の中でもフッと消えてなくなりたいと衝動的に引きずられる様なことがありました。
正直今でもフッとありますからね。その様な不安定な曖昧模糊とした自分があるのです。それが自分の一面にあるということを受け入れていくことでいいと私は思います。
私はその様な曖昧な自分という者の中で仏教の教えを生きるともし火や寄る辺として生きています。仏様はそのような曖昧な愚かな私をも善き方向へと導いて下さいます。

人の生死は誰しもがわかりませんし不安もあります、その様な寄る辺ない波に揺られながらも私達は日々生きています。その様な自分であることを受け入れながら或は信じるものを見つけていければいいのではないでしょうか。

先ずはその様な自分であることを受け入れていくことがスタートかと思います。
安心して下さい。あなただけではありませんからね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 2
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かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
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鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

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