希死念慮を失くしたい
自殺願望が芽生え始めたのは、記憶では小学4年生頃からです。それは高校3年生頃まで続いていました。
理由は、母のしつけが自分にはとても辛く感じていたためです。(母子家庭)母が仕事から帰ってくると機嫌が悪く、威圧的であったり、嫌味であったり、怒鳴るような叱り方を頻繁にされていました。
大学では一人暮らしで連絡もほとんど取っていなかったので、しつけが辛いと感じることは少なくなりました。その頃から、自殺願望から希死念慮に変わったと思います。
自殺未遂は中3〜高2までリストカット、大学〜2回首吊りを試みています。首吊りの2回は、もう十分人生楽しんだから、嫌なことが起こる前に死のうという気持ちからです。
昔から友人は多く、恋愛も人並みにしていたので、楽しい生活ではあったのですが、どんなに幸せな毎日でも、可能であれば今すぐに死にたいと思い続けています。
特に死にたい理由は思い浮かびませんが、こんなにも恵まれているのに死にたいと思ってしまうのが嫌で死にたい。と思うこともあります。
たまに理由もなく死にたすぎて涙が出ることもあります。
まとまりはありませんが、こんな死にたいLIFEを送っています。ですが、できることなら死にたいと思う気持ちを失くしたいです。
よろしくお願いします。
希死念慮
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
安心して下さい
拝読させて頂きました。
あなたのこころの奥底でさみしいお気持ちや悲しいお気持ちがあるように感じました。今まで様々なことや人から受けたことが積み重なってあなたのこころの中をおおっているのではないかな?と感じました。
あなたのお気持ちの詳細は分かりませんがあなたがその様にお感じなさることももっともなこともあると私は思います。
あなたのお気持ちをこころよりお察し申し上げます。
人は生きることについて大なり小なり疑問に感じ不安を抱いているものかと思います。自分はどこから来てどんなご縁があって今ここにいるのか、これからどこに行くのか定かではありませんから不安や疑問を抱えながらも今を生きています。
そんな中でフッと自分の存在ごと消えてなくなってしまいそうな思いを抱くこともありますし、そんなこれからの自分について考える中でいっそのこと無くなってしまいたいと思うこともあるものです。
死んでしまいたいという感覚は人それぞれ違いがありますがあります、大なり小なりその様な衝動にかられる自分がいることは自覚して頂くことも必要かと思います。
また仮にですが自分が亡くなった場合には別の者に生まれ変わって違う次元で生きることもあるかと思いますし、その様な思いを抱くこともある意味自然なことです。
ですからそう考えてしまう様な自分であることを受け入れていくことが大事なことと私は思います。
以前私も不安や恐怖に毎日苛まれている時にもフッと死にたいと思っていましたし、何気ない平穏な生活の中でもフッと消えてなくなりたいと衝動的に引きずられる様なことがありました。
正直今でもフッとありますからね。その様な不安定な曖昧模糊とした自分があるのです。それが自分の一面にあるということを受け入れていくことでいいと私は思います。
私はその様な曖昧な自分という者の中で仏教の教えを生きるともし火や寄る辺として生きています。仏様はそのような曖昧な愚かな私をも善き方向へと導いて下さいます。
人の生死は誰しもがわかりませんし不安もあります、その様な寄る辺ない波に揺られながらも私達は日々生きています。その様な自分であることを受け入れながら或は信じるものを見つけていければいいのではないでしょうか。
先ずはその様な自分であることを受け入れていくことがスタートかと思います。
安心して下さい。あなただけではありませんからね。