背中を押してほしい、応援してほしいです
結婚して専業主婦を続けていますが、
やはり一人でいると余計なことを考えてしまい、ネガティブスパイラルに入ってしまいます。
ヨガに行ったり行動してみていますが、いまいち生活にハリがなく、すぐに風邪を引いたり、起きてもいない病気の心配をしてしまったり、時間が勿体ない気がしてしょうがないです。
これがしたい!というものがなくて困っているのですが、近々、近所で簡単そうなパートを始めてみようかなと思っています。
ネガティブな気持ちの根本的な解決になるかどうか分かりませんが、とりあえず行動してみる、ということはどうなのでしょうか??
まずは自分の気持ちを落ち着けてから行動した方がいいのでしょうか??
悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の向かい先が笑顔になれるように応援しています。
人間の最高の心の周波数を仮に777ヘルツとしますと、その心のありようはどういうものかというと、静かで温かくてやさしい~感じなのです。
ヨガをされているそうですが、坐禅もヨガも瞑想も「形から入るもの」と言われますが、それでも大事なのはカタチよりも内容であると優れた指導者はバッサリ切り捨てます。
百人が同じ姿かたちをしてヨガや坐禅や瞑想をしても結局、心の内容がどうか。
手ごたえが無ければ続きません。
私も形の上で10年坐禅していましたが何も手ごたえがありませんでした。
それはちゃんとした指導者に出会えなかったということもあり、私自身も本当のことをも止める要求心や「正しい疑い」が無かったからでしょう。
「正しい疑い」とは痩せる薬やら病気が治る薬を飲み続けても効果がない場合、それは効かないクスリだったということにちゃんと気づけるチカラです。
坐禅、ヨガ、瞑想をする人は沢山居ます。
沢山の指導者がいます。
それでもちゃんとした結果が伴わないのでしたら、それは指導者がタヌキか指導内容がツカマセであるか行う側がコツを掴めていないないなど、チョットした見落としがあるということなのです。
人生の時間は限られております。
人生を最高に豊かにしてくれる最高の宝に巡り合える機会はその機会があっても見落としていたら見つけられません。
つまり大切なのはあなたがもっと求めるエネルギーを燃やすことだということです。
禅の道場でもただぼんやり人から言われるままにやっている人もいます。
やはりそういう人は成長しないのです。
お遍路さんに3か月旅立った人が帰ってきて夫婦げんかしたという人がいるそうです。
慈悲の瞑想をしている最中に「ごはんよー」と言われて「うるさい!俺は今慈悲の瞑想をしている最中なんだ!」とキレた人がいるそうです。
坐禅・念仏しても本当に手ごたえが無い坊さんもいるのです。
だからこそ、本当に学ぶべきことが何なのか。
そこを明確にする必要があります。
では、何が大事なのか。
チョッとだけヒントを記しておきます。
それは、いまこの自分の身心の上に起こって現れていることに目を向ける。
それが自身の上で「どのように」行われているかを眺めることです。
それは自分の見解・思い・思考・好き嫌い・判断などの介入がないままに行われている様子がある。そこを見極めるとよいでしょう。
質問者からのお礼
お忙しい中ありがとうございます。
コメントいただけてとても嬉しいです。
エネルギーを燃やすということ、心がけてみたいと思います。
最後の、ヒントの内容は何度も読み返したのですが難しくてよく分かりませんでした。すみません。。