宗教と言えども所詮、お金儲け
神頼み、仏頼み…
手を合わせお願いをしても
所詮、宮司も僧侶も人間
それらは職業で有り
拝む対象は人間が造った物。
お賽銭だのお布施だの
お金を払わなければご利益が無い…と言う考え
何かを信じたくとも、
それぞれに教えが違う
信仰の仕方も違う
神がそんなに沢山居るもんか!
数ヶ月前に某キリスト教の牧師が言ったお祈りの言葉
『もしも神がおられるのなら…』
言ったとたん慌てて
『勿論 私は神がおられると信じてますが』と
本音が出たねって感じでした
所詮、金儲けだから
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
価値観は人それぞれ
価値観は人それぞれ違います。
皆がお金儲けのことしか考えていないわけではありません。
また、世の中にはお金に困っていない人もいます。
生活に困っていない人は、損得ぬきで宗教活動をできるのかもしれませんね。
心にとどめます
拝読させて頂きました。
生きる為にお金を稼ぐことは必要なことと思います。
ただお金儲けの為に活動している宗教者もいるかと思います。
とはいえ安心してこの世を生き抜いていく為や亡くなった後も安心することができるような神様や仏様や教えはありますし、私達は本当に必要としていると思います。
本当に信じるに値する教えであるのか、本当に信心を持った宗教者であるのか、そうでないのかはじっくりと聞きながらその姿勢を観察していれば自ずとわかってくるものです。
また宗教者に限らずに一般の方々の中でも本当にあつい信心を持って一生懸命に生きていらっしゃる方々もおられるのです。
もしもあなたがそのような真の信心を持った方々をご存知ないならばそれは未だ出会えていないだけなのです。
歴史上でも歴史に出ていない方々でも真の教えや信心を持ったあまたの方々がいらっしゃったことはあります。
あなたのおっしゃるようなお金にまみれてしまうような者に決してならないようにとこれからもずっと心に決めて真の信心を持ち精進して参りたいと強く思います。
ありがとうございます。至心合掌
捉え方は自由です。
おちびさんが、そのように思われるには、それなりの理由があったのでしょう。
たしかに、お金は付きまといます。それが娑婆世界ということです。
お坊さんも人間ですし、お寺も維持していかなくてはなりません。もちろん納税の義務も果たさなくてはなりません。そのような意味では平等です。
職業欄にも、坊主と書きますから、その通りですね。
ただ、お布施さえ払えば救われるとは思っていません。むしろ人生を好転させるのは、ご本人次第ですから、その応援はします。
どんな職種でも、いろんな考え方の人がいるということで、お坊さん(宗教)の世界も同じです。又、それをどのように捉えるかも様々だということです。
質問者からのお礼
お返事をくださった先生方、ありがとうございます。
今日、休みでしたので他の方の質問や
そのお返事を読ませて頂き、
自身の考えが愚かで有る事に気付きました。
過去にも何度も何度も反省し
少しでも短所を改めるようにと思いつつ
一歩進んでは何歩も後退りしているようです。
もう若くは無いですし、年来相応の大人になれるように努力します。