「まだ若い」と到底思えません
25歳の男です。3月に26歳になりますので新卒4年目の世代です。
なんやかんやあって23歳のころに体調を崩し2年半近く会社を休みました。
現在は復職していますが、どうしても日々気が急いて敵いません。
同期は私がいなかった2年分経験を積んでバリバリ働いています。当然僕より年収も上です。
私なんて2年で得た経験なんてスムーズな薬の飲み方くらいのものです。眠れない夜の過ごし方も上手になりました。
微塵も役に立ちません。
そんな現状がどうしても許せずモヤモヤとしてしまいます。
僕が立つはずだった場所に誰かがいて、僕がやるはずだった仕事を誰かがやっている。
そりゃ休んでたんだからそうだろという話で、それを妬むとかそういうのではありません。ただただ焦りが湧いてきます。
お金がない、時間がない、休んでたせいか体力もない。作らなきゃ、何かしなければ。もう残された時間は少ない。そんな感覚です。
しょっちゅう言われます「まだ若いんだから、これからだよ」と
でもなぜだか「まだじゃなくてもう26なんだよ」と思ってしまいます。
まるで30越えたら死んでしまうかのようです。
「まだ若い」あの感覚はどうすれば取り戻せるのでしょう。
きっと世間的には25、6歳は若い部類なのだと理解しています。
けれどどうしても「何ができるというんだ、もう2年も無駄にした。もう26になってしまった」と落ち込み、少しでも空白を取り戻そうと焦ってしまいます。
しかし一方でこの焦りを直すのが怖くもあるのです。
今は仕事にも、仕事に必要なスキル習得の勉強にも熱意を持って取り組めているように思います。
参考書を手に先輩のコバンザメをしています。少しずつですができる仕事も増え
てきました。
そんな熱意がもしもこの焦りによるものだったら……と思うとこのままでもいいように思えてきてしまいます。
焦燥感とともに熱量まで失うのは怖いからです。
ただ話を聞いてほしい感は否めないのですが
お聞きしたいのは2点です。
・焦ってしまう。もう若くないという感覚とどう付き合えばいいでしょうか
・今あるこの焦り、それに起因する熱量が失われるのが怖いです。恐怖とも付き合うことはできるでしょうか
乱暴な質問で大変恐縮ですがお答えいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【自然法爾】オートマチック
自然(じねん)といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾(ほうに)といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。『末燈鈔』
浄土真宗の親鸞さんは、念仏行者が極楽浄土へ往生していくメカニズムをこのように説明されました。でも、これって別に極楽浄土へ云々の話だけではないような気がするんです。
しばらく寝込んでいたせいで遅れを取ってしまったという、あなたの焦りの気持ちは私にも痛いほどよくわかります。しかし、遅れを取り戻そうとする気合いが”焦り”となってあなたを疲弊させていくようでは、それはいずれますますあなた本来のパフォーマンスを落とす結果になってしまうのではないでしょうか。
どうぞ、しっかりお仕事頑張って下さい。でも、その一方で「物事の道理に従って、ちゃんとそれそのようになるから」と、ご自身の心に優しく言い聞かせてやって下さい。きっと2年半のブランクでさえ必要な事だったんだ、と思える日が必ず来ますから!!
質問者からのお礼
お返事いただきありがとうございます。
まだ正直なところこの「焦り」の域から脱してはおれず、仕事でも思うように行かず・・・・・・
急いては事をし損ずるとはこのことをいうのだなと思っています。
「それそのようになる」と思える日が来ればいいなと思います。
なんとか落ち着けさせられたらいいのですけど・・・・・・・・・