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先祖の因縁

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私は、二年前の45歳の時に突然脳梗塞になり左半身が麻痺した障害者です。足は回復して普通に歩けるますが、左手の麻痺は重度だった為、治りません。
昨日ある人から、脳梗塞になる人は先祖供養をちゃんとしてないから。先祖が悪い事をして、その見返りが現世に来てるとか色々言われました。脚に手術痕の傷があるのですが、身体に傷がある人は、先祖が武士で人を切っていたから、そのせいで現世の人に傷が出来るとか色々言われ嫌な気分になって帰って来ました。
と同時に怖くなりました。
この様なことなどあるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

迷うのは亡き人ではなく生きている人

ようちゃん様こんにちは。二度目の回答のご縁を頂きました。

脳梗塞の後遺症で苦しんでこられたのですね。そしてずっとこのことが受け入れられないでいらっしゃるのですね。

以前もどうようのご質問でしたが、亡き人が私たちを呪ったり祟ったりすることはありません。先祖供養をしないからといって災難が降りかかることはありません。

でもそれでは「なぜ私が脳梗塞に?」と納得できないのですね。なにか理由が欲しくてたまらないのですよね。

でもこれだという理由が与えられたら本当にようちゃん様は救われるのでしょうか?
きっとそうではないのだと思います。どのような理由・原因であれ、脳梗塞になったという事実は変わりません。ようちゃん様が今のようちゃん様であることは揺るぎません。

そのただ今この現実という厳しいところに立たない限りは迷い続けるばかりなのです。
いいかげんなことを言う人からは離れましょう。

そしてもしもようちゃん様が今のようちゃん様を受け入れて、この私しか私はいないのだと迷いのないところに立つ日が来たならば、そのようなことを言ってくる人には「迷っているのは先祖でなくあなたですよ」と言ってさしあげましょう。

私たちの身は誰にも代わってもらえません。代わってあげることもできません。その唯一無二の私の身に降りかかる縁はけして都合のいいものばかりではないでしょう。
でもどの縁にも原因・理由はあるものです。それは運命論ではなく、あるいはふっかけられた話にあるような呪いや祟りなどめちゃくちゃな話でもありません。

きちんと因果関係が結ばれるものです。しかし、未だ科学が全ての森羅万象を解き明かしてはいないように人知ではその全てはわかりません。だからこそ

「わからないことはわからない、でも今の私は今の私しかない」

という事実を受けいれないと、わからないことを勝手にわかったことにして自ら苦しむことになります。呪いも祟りも何かのせいにしたい人間の迷いが生み出したものでしょう。
事実は自分の都合を超えたところにあり、私たちを真実に呼び覚まそうとします。

脳梗塞という事実はとても厳しいものなのだと思います。そこに懸命に立ち向かっているようちゃん様には頭の下がる思いです。
どうかその素晴らしいただ今のようちゃん様から迷いのなきように願います。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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気にしないでください。

今は体調いかがでしょうか。ご自分のできることで大丈夫ですから、マイペースでいきましょう。

さて、いかにもそれらしく聞こえますが、言っている人はどれだけ責任を持って言っているのかと思います。そのようなことで先祖供養を勧めるのは、正しい宗教ではないと言えます。仮にそうであったとしても、それを言った人が解決できなければ軽々しく言うことではありません。とても無責任なことです。

まず、言えることは、たしかに過去、現在、未来へと原因と結果、その結果がまた次の原因になるという法則はあります。だからと言って今の病気の原因が、前世の結果とはなりません。その法則はもっと複雑であり、しかし、シンプルでもあると思います。
それよりも今回の病気を通じて、ようちゃんさんが体験したいことがあったのだと思います。私たちは経験したいことがあって、この世に誕生してくると私は考えています。意味なく生まれてくる訳ではありません。こんな辛い世の中に、なんでわざわざ生まれてくるのかと思いませんか。そして肉体があるがゆえに苦しむこともあります。でも、その肉体がなければ生きることさえもできません。

病気になる、歳をとる、死もそれは避けられません。ようちゃんさんはご不自由になれましたが、でも、その中から、多くのことも体験:学ぶこともあります。それも一つの人生であります。
決して、過去の云々は別問題ですので、言われたことは考えないでください。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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