大学に通う意味がわからなくなりました
大学は勉強するために行くのでしょうか。卒業するために行くのでしょうか。
普通、大学に入学したら、いつかは卒業します。みんなそのつもりで入学すると思います。
学びたいことがあって、学びたいという気持ちのままに学んでいくうちに卒業に至るというのが、わたしには理想に思えます。私自身、学びたいことがあって大学に入り、やりたいことを学ぶうちに卒業に至ると思っていました。
しかし実際にはそううまくはいきませんでした。学びたいことがあると思っていたのに、さほど意欲がわかずに、いつも面倒だとばかり思っています。やっているうちに楽しいと思えることもあり、それを励みに頑張っていましたが、いつも課題の締め切りだとか、試験の範囲がどこだとか、効率的に単位をとるにはとか、そんなことばかりが勉強のモチベーションになっていました。学びたいから学んでいるはずだったのに、いつしか単位を取るため、卒業するために勉強しているようでした。
先日課題が不合格になり、留年の危機に陥ってから、心が折れてしまいました。私なりに苦心して、それでも楽しくできた課題だったのですが、不合格になったことで、その時間が意味のないものとなり、意欲的に勉強できたという本来もっとも大事にしたい部分、楽しかったという気持ちまで、否定してしまいそうです。
例え楽しんでいても、単位が取れなかった課題にかけた時間を無駄だったと思ってしまう私が、学びたいから大学に通っているのだと言ったら、かなり嘘が混じっている気がします。しかし、単位を取るために、卒業して大卒になるために学んでいるのだと認めてしまうのが、すごく怖いです。むなしいです。
事実、お金はかかりますし、年も取るし、体裁も悪いし、だらだらと大学にいるわけにもいかないのですが、この気持ちが本当なら、卒業という格好のために大学になんとか通うか、そんな空っぽな気持ちならばいっそやめてしまうか、決断しなくてはいけないのでしょうか。簡単に分けて考えられることではないと思ってはいますが、何に意味を求めてこれからやっていけばいいのかわかりません。何か助言をいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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経験を生かして
拝読させていただきました。慈陽院の平本と申します。
大学の行く意味について悩んでいる感じですかね。
上っ面の部分だけみたら、単位を取って卒業することが行く意味になると思います。
しかしそれを虚しい、怖いと思う気持ちは、鋭いと思います。
まず、社会に出て役に立つことのひとつに「挑戦」「失敗」「成功」を繰り返し経験し、自分の引き出しを増やしていくことが大事であると思います。
失敗は、したくないのですが失敗から学べることは、とても大きいと思います。
今ねんねんさんは、挑戦してうまくいってない感じだと思いますが、そこから何かを学ぶことができれば単位は、取れなくても社会に出たときにきっと役に立つと思います。
また、社会に出たときにどういう社会人になっていたいか、どういう感じで仕事に取り組む社会人になっていたいか、どういう人間性のある社会人になっていたいかを考えて、逆算して学生時代に何をすればいいかを考えてみるのもいいと思います。
そして学生時代、社会人と悩みながら、前に進むことが心も人生も豊かになると思います。
ご期待に添った答えになっているか分かりませんが、何かを感じ取ってもらえれば幸いです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。