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因果応報は変えられないのでしょうか

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有り難し有り難し 10

良いことをしたら何倍の良いことが、悪いことをしたら何倍の悪いことが返ってくる。自らがしてきたことが何倍にもなって返ってくる、といいますが、悪いことをしてしまった分の悪いことは罰として、また自らの責任として、必ず受けなければならないのでしょうか。それを回避するすべはないのでしょうか。回避したいと思うのは甘えでしょうか。
また、「良いこと」「悪いこと」の判断基準とは何でしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間の知恵 仏の智慧

”それを回避するすべはないのでしょうか”
あなたもご存知のように、たしかにこの世は【善因善果】【悪因悪果】という法則で回っています。ところで、善は倍増、悪は半減それ以下にしようとするのが仏教だといえます。悪果を生ずる悪因をなかったことに、帳消しにするということはできませんが、どんな結末が待っていようとも全身全霊でそれを受けて立とう、背負いきってやろうと肚が決まるのも、また仏教の利益といえるでしょう。

「追放可なり 牢獄甘んずべし」
明治時代に活躍した真宗大谷派の僧侶であり哲学者だった清沢満之は、『絶対他力の大道』という著書の中で、このようにおっしゃったそうな。あなたのおっしゃる”回避”が可能なのか不可能なのかの議論を通り超えたその先を、仏教は見据えているのかも知れませんね。

”「良いこと」「悪いこと」の判断基準”
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」
浄土真宗の親鸞さんは、善悪の判断基準なんかわからんとおっしゃったそうな。つまり、善悪は人の都合によってコロコロ変わるので、おおよそあてにならないということなのではないでしょうか。これは、その時代、その国、その地域、その集団における一般常識や秩序を無視してもよいという意味ではありません。

結局、善か悪かの議論を通り超えたところにある、嘘か真かを仏教は追求しているようです。

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質問者からのお礼

転落院さま
お礼が遅くなり誠に申し訳ございませんでした。
『善か悪かの議論を通り超えたところにある、嘘か真か』とのお言葉に、ハッとさせられました。
良い・悪いに固執して本来大切にすべきものが見えなくなっていたように思います。
もっと視野を広げて、物事の本質を感じ取れる人間になりたいと思います。
ご回答いただき、ありがとうございました。

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