過去の人間関係に関する過ち
過去にした酷いことが忘れられません。数えきれないほど多くのことがありますが、今回は人間関係について相談させてください。
小学生のときに何度か友達をわざと置いて帰ってしまったり、ゲームを盗んでしまって大変悪いことをしたと気づいてかなり経ってから返したのですが、謝れ なくて間違って持ち帰っていたことにしたりした事があります。
中学校とときに、いじめにあったらしい子が転校してきたのですが自分が友達になれたらと明るく絡んだり、毎日ご飯に誘っていたら、私の自分本位なの行動のせいでまた不登校になってしまったりもしました。
高1の時には好きな人と友達が付き合っていて、友達が彼氏のことが好きなのかよく分からないと言っていて、嫉妬と怒りで別れた方がいいと言ってしまったり…
思い返せば本当に酷いことばかりで自己嫌悪に陥っています。考えてなかなか眠れないこともしばしばあります。
連絡をとれる友達には謝ろうと小学生のときの友達に謝ったら、全然知らなかったと言われ、むしろ知らせたとこで傷つけてしまったかもしれません。そう思うと高校の方の子に謝ってもいいものかわからず、迷っています。
今でも極たまに、気をつけていても不用意な発言で友達を傷つけてしまうことがあります。本当に人のことを傷つけることしかできない自分が恥ずかしいです。今でもその方たちと友達ヅラしている自分に腹がたちますが、自分勝手ながら友達でいたいと思っています。
文章がまとまらなくてすみません。
高校の友達に謝ってもいいものかも含めてご意見を伺いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
偽善者キャンペーン
数々の悪行の告白、まずは話してくれてありがとう。
そんなあなたに”偽善者キャンペーン”という作戦を授けよう。
仏教はどんな教えかといえば、
【諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教】
つまり、悪行は慎んで 善行をすすんでしようということです。
しかも、これを続けていくとその行為自体が自浄作用でいよいよ本物になっていくんだ。まぁ、こんなことはどこの先生(宗教指導者、学校の先生、親、先輩、その他)でも教えていることなんだけどね、と仏教は教えています。例えば、気前の良い挨拶、他者への気遣い、ゴミ拾い、荷物持ち、なんでもいいからあなたの中にある善意良心を最大限に引っ張り出しては偽善者丸出しでやってごらんよ。最初はバカバカしくてやってらんねぇと思うかも知れませんが、喜ぶ他人様の顔を見ているうちに、気がつくと真心のこもった本物になっていますから。
”高校の友達に謝ってもいいものか”
あなたが自責の念に堪えられなくて単にラクになりたいだけではないのなら、謝るきっかけがあれば謝ったほうがよいでしょう。謝るご縁に恵まれないのなら、いつか死ぬが死ぬまで自分の責任で背負い切りましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。偽善者キャンペーンやってみます。謝る機会はいくらでもありますが、言われてみればただ自分が許してもらいたいだけだと感じるので、気持ちが変わるまでは止めておこうと思います。